悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

杉原千畝 スギハラチウネ

馴染の映画館にて記念セールをやっていたため、普段よりも割安で映画を鑑賞することが出来ました。

 

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

1934年、杉原千畝満州国の外交官として諜報活動を行っていた。北満鉄道を巡るソ連との謀略の末、千畝は協力関係にあった関東軍の裏切りを受け、仲間を失う。さらにほどなくして、千畝の諜報能力を懸念したソ連から入国を拒否され、念願だった在モスクワ日本大使館への赴任も帳消しにされてしまう。時は流れ1939年、外務省は千畝に対し、ヨーロッパ情勢を調べる口実とするため、リトアニアに日本領事館を開設するように指示。領事館の責任者となった千畝は、ポーランド亡命政府の諜報官ぺシュを仲間に引き入れ、条約を結んだドイツとソ連の動きを監視し続けた。ほどなくドイツはポーランドへの侵攻を開始し、ナチスの迫害から逃れた多くのユダヤ人たちがリトアニアにやってくる。しかし、リトアニアは間もなくソ連の占領下に置かれてしまうという。そうなればユダヤ人たちは出国できずに逃げ場を失うことになってしまう。日本領事館の閉鎖を迫られる中、日に日に領事館前に集まっていくユダヤ人たち。千畝は彼らを救うため、独自の判断で日本通過のためのビザを発行することを決めた……という筋。

 


「日本のシンドラー」と呼ばれることも多い杉原千畝だが、恥ずかしながら彼のことについてそれ以上の知識はほとんどがなかった。数年前に映画「シンドラーのリスト」を見て以来、何らかの形で杉原千畝の物語を知りたいと思っていたが、都合よくぴったりの映画が上映していたので鑑賞することにした。

 

外交官というから上流階級の家の出で、すさまじいエリートを想像していたが、意外にも彼はあまり裕福でない庶民の出身だったらしい。猛勉強のすえに早稲田大学に進学したものの、すぐに学費が底をついてしまい、満州のハルピン学院に移らざるを得なくなってしまったという。


しかし、ここで学んだ「自治三訣」という教えが、千畝の善性を形作ったといえる。

 

「自治三訣」は劇中で何度か出てくる言葉だが、その意味は「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」という訓示である。まさに現代の教師や公務員や政治家やその他大勢の社会人たちに投げつけてやりたいような言葉だが、これを実行するのは並大抵のことではないだろう。早い話、滅私奉公を至上とせよと言っているようなものだからだ。


あまり恵まれた境遇ではなかった千畝だからこそ、決死の思いで逃げてきたユダヤ人たちを見捨てられなかったのかもしれない。

 

 

リトアニアに逃げてきたユダヤ人たちは、ヨーロッパから離れられれば逃げる先はどこでもよかったらしい。ただ、アメリカをはじめとする出国ビザの発行条件がゆるい諸外国の領事館はソ連からの圧力で早々に閉鎖に追い込まれており、日本領事館以外に頼れる場所がなかったとのこと。ユダヤ人たちは「リトアニアから出国したのち、日本を経由して別の国に向かう」という建前のために日本のビザが欲しかったのだという。

映画を見て知ったのだが、仮に日本を通過するだけだとしても、日本に滞在するために十分な費用を持っていない者にはビザを発行できないのが原則らしい。そのほかにも様々な条件があるのだが、それらを満たしているかどうかを日本にお伺いをたてているだけでどんどん時間はすぎてしまう。千畝が日本に許可をとらずに無断でビザの発行を行ったのは、ユダヤ人たちがこれらの条件を満たしていなかったからなのだ。

 

独断でビザを発行すれば、千畝は責任を取らされる可能性が高い。それでも断行した彼は確かに高潔な精神を持ち合わせていたようだ。

 


ただ、約6000人ほどのユダヤ人たちが救われたのは千畝だけの功績ではないということも、本作品は語ってくれた。

 

 

たとえば、在ウラジオストク総領事代理である根井三郎氏である。

リトアニアから脱出したユダヤ難民たちは、ウラジオストクから船で日本に渡ろうとするものの、あまりにも人数が多すぎたために日本の船舶から乗船を拒否されてしまう。しかし根井氏は自分が全責任を負うと言って、ユダヤ難民たちを船に乗せるようJTB社員・大迫氏に伝える。

 

このとき、根井氏がユダヤ人たちを船に乗せていなければ、彼らは助からなかったかもしれない。


ではなぜ根井氏がこんな決断を下せたのかというと、実は彼はハルピン学院の出身であり、千畝と同級生だったのである。

根井氏のすごいところは、千畝から直接頼まれたわけでもないのに、ユダヤ人たちにビザを大量発行した千畝の意志を汲んだ点に尽きる。これもハルピン学院の「自治三訣」の成果なのだとしたら、日本全国にこの教えを広げてもらいたいものである。

 

 

 

映画の途中で、印象的だったセリフがある。
千畝がリトアニアで雇った現地スタッフ、グッジェの言葉である。(正確に記憶できなかったので、ニュアンスだけ)


「世界は車輪である。今は頂点にあるものも、いずれは車輪が回転し、真下になる」


これは、リトアニアから去ることになった千畝に対して、グッジェが別れ際に告げたセリフだ。無論、これは現在各地で猛威をふるっているナチスドイツを揶揄しての言葉である。
この言葉が、ユダヤ人を忌み嫌っていたドイツ系リトアニア人の彼から発せられたというのが大きい。
千畝の行いはユダヤ人を救っただけではなく、関わった人々の価値観にも大きな影響を与えたという示唆なのだろう。

 

このように本作では、千畝は非常に聡明な人物として描かれている。ヨーロッパへの進行に歯止めが利かなくなっているドイツと手を組めば、いずれ日本はアメリカと戦争し、大敗を喫することになるとまで予測していた。数々の情報をもとに本国へ進言したものの、日本は千畝の意見をまったく聞き入れず、日本は急速に戦争状態に突入し、あっけなくズタボロに負かされてしまった。


終戦の知らせを聞いたときの千畝の悔しさは推して知るべきであろう。

 

 


なお余談だが、本作で杉原千畝を演じた唐沢俊明氏と、その妻・幸子を演じた小雪氏の二人だが、どこかで見たようなカップリングであるとずっと感じていた。自宅に戻ってからネットで検索をしたところ、二人は2010年の連続ドラマ「不毛地帯」で共演したことがあったと思い出した。「不毛地帯」では元軍人のビジネスマンと、軍の上司の娘という微妙な間柄だったため、印象に残っていた。

あとはやや昔の作品になるが、京極夏彦氏原作の映画「嗤う伊右衛門」にて夫婦役を演じたこともある。どの作品でも非常に存在感のある俳優・女優であり、どれも記憶に鮮明に残っている。

 

 

歴史の勉強になるとともに、日本政府のダメさ加減を再認識させてくれる素晴らしい作品だった。2時間20分とやや長めの物語だが、そうとは感じさせない緊迫感があり、万人にお勧めできる映画だと考える。