悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

のぼうの城

テレビ放送されているものの感想ばかり記しているせいで、普段の読書記録がままならなくなっている今日この頃。そろそろ方向性を変えるべきかなやみつつあります。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

●概要

天下統一を目指す豊臣秀吉は関東の雄・北条家に大軍を投じるも、その中には最後まで落ちなかった武州・忍城(おしじょう)と呼ばれる支城があった。その城には領民からでくのぼうをやゆした“のぼう様”と呼ばれ、誰も及ばぬ人気で人心を掌握する成田長親(野村萬斎)という城代がいた。秀吉は20,000の軍勢で攻撃を開始するが、将に求められる智も仁も勇もない、文字通りのでくのぼうのような男の長親は、その40分の1の軍勢で迎え討とうとする。

のぼうの城 - 作品 - Yahoo!映画

 

 

 

 

●感想

2012年に公開された映画。先日テレビで「特別編集版」なるものが放送されたため、録画してから鑑賞することに。

原作は和田竜氏による同名小説。

主演は野村萬斎氏。

 

非常に見覚えのある御仁だがテレビではあまり窺わない方のため、名前を見ても最初は誰のことだかピンとこなかった。よくよく思い出してみると、映画「陰陽師」で安倍晴明を演じた有名な狂言師である。最近では、2015年にフジテレビで放映された日本版「オリエント急行殺人事件」(脚本・三谷幸喜)において勝呂武尊(原作におけるエルキュール・ポワロにあたる名探偵)を演じていたことが記憶に残っている。

 

 

当方、戦国時代における世の流れにトンと疎いため、どの武将がどの武将とつながっていてどの地方を守っていたなどと口頭で説明されても理解できる自信がなかった。せいぜい高校時代に学んだ日本史の知識が限界であり、最近ではそれすらも薄らいでいるし。

 

映画視聴前の知識としては、なんかこう、アホと呼ばれた城主が豊臣秀吉の進軍から城を守りぬいたお話、くらいしかない。アホにあたる人物が誰で、なぜ城が攻められるような事態になったのかなど、まるでわかっていなかったのである。

 

こんな状況で歴史ものなんて見ても大丈夫なのだろうか。不安はあったが、好奇心がまさって見ることを決意した。

 

 

映画の冒頭は、英気溢れる豊臣秀吉と、彼に仕える3人の武将の登場シーンから始まる。秀吉の側に控えるのは、石田三成大谷吉継長束正家らである。高台の上から3人を呼びつける秀吉。3人が急いで高台に登ると、秀吉が突如として指示を出す。すると、大量の水が濁流となって城下を呑み込んでいく光景が彼らの目につき刺さった。それを見て三成は、「自分もこんな戦がしてみたい」と目を爛々と輝かせて言うのであった。

 

場面は移って、今度は主人公サイドのシーン。現在の埼玉県にあたる場所を支配している北条氏の城のひとつ、忍城(おしじょう)と近隣の村の描写である。主人公である成田長親は城から抜け出しては農民たちの農作業を見学し、アホな振る舞いで人々から親しまれていた。

 

このように、映画が始まってから30分ほどは、状況説明するかのようなシーンが多かった。いろいろと難しい言葉遣いが多くて理解が遅れる場面も多かったが、なんとか必要最低限のことだけは理解できた。

 

猿と揶揄された秀吉が野心に満ち溢れたツワモノだったり、軍略家として知られる三成が戦争狂みたいに描かれているのが非常に気になったが、とりあえず状況整理はできたのでよしとする。

 

その後、豊臣側からの使者として長束正家が成田家に送り込まれるが、この人物の態度が非常に不遜だった。そのことで、主人公・長親はまとまりかけていた降服案を蹴り、豊臣軍との戦争を行うと怒り混じりに言い切ってしまった。ここまでが、長親らが豊臣と戦う羽目になった経緯である。

 

映画の残り半分は、圧倒的不利におかれた忍城の防衛線を描いたシーンである。

触れ込みにもあったが、戦力差は500人V.S20000人である。常識的に言って勝てるはずがない。いつだか「300」というスパルタカスを扱った洋画があったが、この手の圧倒的不利な状況を描いた戦記ものは歴史に残りやすいらしい。確かに、弱いものが強いものを打ち負かすという展開は胸が熱くなるし、個人的には強いものがケチョンケチョンに負かされる様を見るのは非常に楽しい。(ちなみに「300」は結局不利な側が負けてしまう話のため、あまりいい思い出がない)

 

主人公の長親は、武士の癖に運動神経がないのではないかと思われるほど鈍感だし、空気を読まない発言でまわりをやきもきさせる。しかし、彼はただのアホではなかった。ある意味、策略家といってもいいかも知れない。

 

とはいえ、映画で長親の策謀が見れる場面はそんなに多くないため、彼による活躍でどうにかなったという印象はさほど強くなかった。どちらかというと、頼りない長親を支えるために奮闘した家臣たちや農民たちのほうが活躍しているようにすら見えた。

 

長親たちは北条氏が降服するまで忍城を守り抜き、単体の戦場としては勝ち逃げの形で豊臣軍を下した。正直、豊臣軍の総攻撃と北条氏の降服がタッチの差だったため、あと一歩北条氏の降服が遅ければ戦は泥仕合になっていた可能性もあった。しかし、40倍もの兵力差をものともせず城を守りきったという事実は驚嘆に値する。

 

 

それにしても、「水攻め」なるものを初めて映像で見たが、あのような大掛かりな攻撃が16世紀の技術力で可能だったという事実に驚きを隠せない。28キロにも及ぶ堤をつくり、攻撃対象を囲んで、近くの川を決壊させて相手を水底に沈める。なんとも手間と時間と金のかかる派手な攻撃だが、決まると大打撃になるということを実感を持って知ることができた。

 

最後に、成田家当主の娘・甲斐姫が秀吉に引き渡されることになったくだりについて。多くは語るまい。ただただ不潔であり、秀吉という人間の愚劣さがにじみ出ていた。負かした相手を愚弄するかのような振る舞いは後世にまで語り継がれ、永遠に非難され続けることだろう。そうなって然るべきである。