悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

信長協奏曲 (映画)

奇しくも公開初日に見る機会を得たため、さっそく感想のようなものをしたためたいと思います。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

●概要

 戦国時代にタイムスリップした高校生・サブロー(小栗旬)は、奇しくも同じ顔をした織田信長(小栗二役)と出会い、信長として生きることになってしまう。はじめは逃げ腰だったサブローであったが、戦の惨状を目の当たりにするにつけ、織田信長として生きる覚悟を決め、戦のない世をつくろうと思い始める。
歴史音痴のサブローは、史実を知らないまま、桶狭間、上洛、金ヶ崎、浅井朝倉との戦い……と歴史通りのことを成して、ついに安土城を完成させた。これで天下統一も間近と思った矢先、ふと手にした歴史の教科書で自分(=織田信長)がもうすぐ死ぬ運命にあることを知る。
信長を狙う敵は多い。彼を怨んで暗殺の機を窺う秀吉(山田孝之)や、彼に嫉妬する本物の信長・明智光秀小栗旬)も虎視眈々と彼の寝首をかこうと狙っていた。光秀は、自ら信長の座を手放したにも関わらず、恒興(向井理)をはじめとする家臣の信頼や妻・帰蝶(柴咲コウ)の愛を勝ち得ているサブローに憎しみを抱くようになっていたのだ。
死が迫りくる中、信長は運命に抗い、生き抜こうと決意。その思いの表れとして、帰蝶との結婚式を企画する。その場所は京都・本能寺。それを知った秀吉は、光秀に本能寺で信長を討つことを提案するのだった・・・。
刻一刻と戦況は激しくなっていく。信長は歴史を変え、平和な国を築くことができるのか!?
1582年、本能寺で彼を待ち受けるものとは・・・?

 

●感想

2014年10月からフジテレビにて放送されていたTVドラマの完結編にあたる映画。

原作は石井あゆみ氏による同名漫画。

主演は小栗旬氏。

 

 

結論から言うと、おもしろかった。

だがしかし、どうも釈然としないもやもやが残ってしまった。

 

この物語のおもしろさは、現代の高校生であるサブローが戦国時代にタイムスリップしたことによる、現代と戦国時代とのギャップにあると考える。歴史の勉強などまるでしていなかったと思しき無知なサブローが織田信長を演じることになってしまい、現代の思考や倫理観を保ったまま歴史的事件に向き合っていく。そこで生じるトンチンカンなやりとりがおもしろいのである。

(ただ、さすがに「本能寺の変」すら知らない学生なんて存在するのかとは思う。本当に知らないとしたら、それまでの学校生活の大半を寝て過ごしていたのだとしか思えない。とはいえ昔、何かのクイズ番組で「徳川家康」を「トクナガミエマス」と回答していたおバカさんもいたことだし、歴史に疎い常識知らずというのは案外そこかしこに生息しているのかもしれない)

 

 

この映画は明らかに地上波で放送されていたTVドラマを見ていた人間でなければ楽しめないつくりになっている。映画冒頭で1分ほどのダイジェストが流れたとはいえ、それだけでは映画に至るまでの登場人物たちの心情を推察することはできない。

まるで「スーパーダンガンロンパ2」が「ダンガンロンパ」と「ダンガンロンパゼロ」を読破した人間向けにつくられたようなもの、と言うと個人的にはしっくりくる。

 

また物語が「タイムスリップ」+「歴史もの」であることから生じる構造上の問題もあった。誰もが知るとおり、織田信長本能寺の変で討ち死にする。そうなると、信長を主役に据えた「歴史もの」の話である以上、物語はそこで終わらせなければならない。

本作は、「サブローが信長を演じる」という点以外には大きな歴史改編は行われていない。また、サブローが如何に歴史に疎い人物であったとしても、彼がしてきた行為は結果として史実をなぞるものばかりだ。彼は自分の意思で行動したつもりでも、その行動は既に運命づけられていたものであるかのように、である。

 

映画の冒頭でサブローは、同じくタイムスリップしてきた現代人である松永久秀から、歴史の流れとして信長がもうすぐ死ぬという事実を教えられる。サブローは運命に抗おうとするが、結局のところ殺されてしまう。途中の展開をすっ飛ばせば、これが大筋である。(ただし、サブローが信長としてではなく、光秀として死んだという違いはあるが)

 

唯一救いがあるとすれば、「タイムスリップもの」の裏技とも言うべき展開になったこと。サブローは秀吉によって首を刎ねられるが、死んだと思ったその瞬間に現代へと戻ってしまったのだ。

 

 主人公が信長だとわかっている以上、この物語は信長の死をもって終えるはず。いわばこの物語は、最初から敗北がわかっている負け戦を見るようなものといっていい。主人公が生きて物語の結末を迎えられたことは、視聴者としてはホッとした気持ちである。

 

しかし、それにもかかわらずこの物語を見終えても釈然としないもやもやが残った。それは何故か。

 

この気持ちを要約すると、「結局、何も変わらなかったんじゃね?」という一文にまとめられる。

 

サブローは信長として色々頑張ってやった。でもそれはサブローが居た現代ではすでに決定事項になっていたことばかりで、彼がどうこうしたからそうなったとは言いがたい。サブローがやったことは、右往左往しながら既に敷かれているレールを辿っただけなのだ。

 

一見変化があるようで、実はまったく何も変わり映えしなかった。この物語を見終えた今、猛烈に感じている思いである。 

 

もちろん、サブローの居た世界では、「サブローがタイムスリップして信長を演じること」まで織り込み済みの歴史だったのだ、という反論は可能だ。でもそれには、「だから何だ」という言葉で返したいと思う。サブローの暮らす日本がどうだろうと、我々は我々の知識をもとに物語を見ているのである。彼が辿った系譜が我々の知っている日本史とまったく同じものだったなら、彼がどう行動しても「何も変わっていない」と感じるのは当然であろう。

 

映画の終わりの展開は、実写ドラマ「JIN」の最終回を思わせた。過去からのメッセージが届き、自分がやってきたことは無駄ではなかったと痛感するシーンなど、だだ被りである。(それが悪いと言っているわけではない)

 

 

楽しい……楽しい物語のはず。でも、これを見ようと見まいと歴史はそのままでした、で終わってしまう寂しさがある。どうしてこうなった。

 

ただ、実写ドラマ版は原作漫画と大きく設定を変えてしまっているところがあると聞くし、なにより原作がまだ続いているはずである。

原作を手にとればまた感想が変わってくるのだろうか。機会があれば読んでみたいものである。