悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

怪盗山猫 第2話

信長協奏曲」を鑑賞するため、録画することになりました。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

 

第2話は、女子高生ハッカーである真央を虐めていたアイドル志望の同級生についての話だった。

 

山猫の元仲間である細田が遺体で発見された。真央と雑誌記者の勝村は山猫のことを疑うが、当の山猫は飄々とそれを否定。山猫は、細田がかつて芸能事務所と暴力団の関係について調べていたことから、その筋の人間に狙われたのではないかという。

また山猫は細田から、自分の情報を外部に漏らすよう細田に指示したのは「ユウキテンメイ」なる人物であると聞き出していた。件の暴力団の元トップがその人物の居場所を知っていると予想した山猫は、暴力団の隠し金を狙うことで揺さぶりをかける。しかし、その暴力団が背後にいる芸能事務所には真央を虐めている同級生が勤めており……という筋。

 

 

自分の心が穢れているせいなのか、『アイドル=枕営業』という失礼極まりない構図が脳裏にこびりついて離れない今日この頃。「芸能界なんて所詮はヤクザの興業の一部でしかないんだろ?」などと半ば本気で考えてしまっているような下世話な人間ゆえ、今回のドラマの展開を見てもそこまで驚きはしなかった。

 

ただし、驚くのと嫌悪感を抱くのとではまったく別の事情である。

 

自分の意思で、自己責任のもとで自分のカラダをどう使おうが勝手にすればいい。誰にもその行為を止める権利はない。ただし、強要してはダメだ。それはもう、絶対に絶対にしてはならない。

 

今回登場した暴力団は、やり方が汚すぎる。アイドル志望の少女を芸能事務所に入れる際、諸費用と称して数十万円を事務所に肩代わりさせる。数ヶ月以内にその少女がアイドルとしての芽が出ない場合は、入所費用などの債権を暴力団に売り渡し、利子だけで何十倍もの借金を少女に背負わせる。そしてその借金を返済する手段として、高級クラブや管理売春を利用していたのだ。

 

正直、この手のシステムがまったくの創作であるとは思えない。現実にはもっと意地汚い最低の商法が遍く存在しているはずだ。そうだとするなら、夢を持って頑張っている人間を破滅させるようなあこぎな商売はすべからく万死に値する。

 

――とはいえ、である。

今回の話でその罠に引っかかっていたのは真央をいじめていた少女である。はっきり言って、そのような悪人がどのような目にあっても特に何の感慨も持たない。借金を背負わされようが、売春を強要されようが、生きたまま切り刻まれようが、臓器にされようが、心の底からどうでもいい。自業自得、身から出た錆。自分が他人に押しつけた不幸や恨みが巡りめぐって返ってきただけのこと。他人を傷つけて喜んでいるような人間は、それまでのツケを一身に背負って謹んで死んでいただきたい。それ以外に償う方法はない。

 

 

これに関してはまたしても山猫がいいコトを言ってくれた。

やはり『武士道』の一節なのだろう。

「道義とは身体における骨のようなものである。骨が無ければ頭はのらず手は動かず足は立たず、才能あっても学問あっても道義なければ誠にあるべき姿とは程遠い」

超訳すれば、ごめん、ありがとうが言えなきゃ人間じゃねえ。人の痛みが分からなければ生きてる価値がねえ」

 

普段のおちゃらけた山猫からは想像できないほどの重い言葉である。いったいどのようにして生きてきたらあのような人格になるのだろうか。山猫の過去が気になって仕方がない。

 

 

 

あとは余談だが、暴力団の元組長役として出演していた笹野高史氏が和服を着て刀を振るう姿があまりにも絵になりすぎていてどうしたのかと思った。普段はもっとふざけた役を演じることが多い役者さんのため、このような渋みのある演技をされるとドギマギしてしまうのだが。

 

それにしても、「今の日本に日本人はいない」という山猫の言葉は身につまされるものがある。やはり、戦後日本の復興の過程で、日本が誇示し続けていた美徳道徳心というものが失われてきたということなのか。右を見ても左を見ても、「軽い」と「明るい」の違いもわからぬ愚かな「ウェーイwwww」系とでも称すべき馬鹿者がひしめき合う昨今、確かにかつての日本人などもうどこにも存在しないのかもしれない。

 

そしてそれは、傍観者を気取り偽善者であることを選んだ筆者自身にも当てはまることなのだ。