悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

臨床犯罪学者 火村英生の推理 第1話

放送開始から1週間が経過した今、周回遅れもいいところですが、録画していたものを鑑賞いたしましたので記録したいと思います。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

●概要

イマ、世間の注目を一身に浴びる2人が、
ちょいワケありな名探偵としてバディを組む、
本格推理エンターテインメントが、日曜ドラマに登場します!
                       
斎藤工演じる犯罪学者・火村英生は、
「この犯罪は美しいか?」
と、殺人現場に快楽を求め、「人を殺したいと思ったことがある」と公言し、
究極の犯罪を追い求める、かなりヤバそうな男。
                       
かたや、
窪田正孝演じる推理作家・有栖川有栖は、
「この犯罪はオモシロいか?」
と、火村の捜査を観察しながら、時に的外れな推理を繰り出しつつも、
危なげな彼の保護者役を自認する、ちょっと頼りなげな男。
                       
およそ、捜査現場には似つかわしくない2人が、
お互いの残念な欠陥を補完しながら、
犯罪者が現場に残した複雑怪奇な“トリック”という挑戦状を、
究極的に美しいロジックで解明!予想を覆す真相を炙り出していく!
まるで美しい手品のように・・・。
                       
原作は、映像化されていない最後の本格ミステリーで、有栖川有栖の代表作。
謎と闇を抱えながら犯罪捜査にストイックな火村と、
彼の葛藤と脆さを救おうと使命感を持つアリスの、
切なさを秘めたバディの、友情と信頼関係の妙が人気を博し、
20年以上続く大ロングセラー・シリーズ!
                       
この冬、上質なミステリーと魅力的なバディに大いに酔いしれてください!

 

 

●感想

2016年1月16日より日本テレビで放送中のTVドラマ。

原作は有栖川有栖氏による小説「作家アリスシリーズ」。寡聞にして存じ上げなんだが、同シリーズの第1作が発表されたのは1992年とのこと。それから現在に至るまで書き続けられてきた超人気シリーズであるらしい。

 

主演は斎藤工氏および窪田正孝氏の両名。どちらも近年の活躍が目覚しい新進気鋭の名優である。

 

斎藤工氏というと、彼を意識し始めたのは2012年公演の映画「逆転裁判」からである。同映画で彼は、成宮寛貴氏の扮する主人公・成歩堂龍一と対立する検察官・御剣怜侍として出演した。それからしばらくして、2013年冬にフジテレビで放送されたTVドラマ、日本版「カラマーゾフの兄弟」にて黒澤家(原作のカラマーゾフ家にあたる)の長男役を好演する。このあたりから映画やドラマなどにおいて重要な役を演じる機会が激増し、果てには主演を飾るまでになったように思われる。いま思い返してみると、「SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」などでも脇役ながら異彩を放っていた気がする。絵に描いたようなカッコイイ系のお兄さんである。

 

窪田正孝氏は本ドラマの同時間帯に放送されていた「デスノート」で初主演を飾ったことが記憶に新しい。どこにでもいそうな普通の大学生だった夜神月が、ノートの魔力に取り付かれて巨悪へと変貌していく様を怖気が走るほどの名演技で表現していた。そのほか、「ST 赤と白の捜査ファイル」「Nのために」「アルジャーノンに花束を」などで彼を見かける機会を得たが、彼もまた演技の幅が広い。大学生、無口な肉体派捜査官、脛に傷を抱えた青年と、上記の作品ではどれとして被る役柄がなかった。今後の活躍を期待できる人物の一人といえる。

 

 

さて、本作は日本版シャーロック・ホームズともいうべき、探偵役と助手役という2人組によるミステリーである。

異常に犯罪に対して興味を持ち、脅威の洞察力をもった臨床犯罪学准教授・火村英生。

どこか頼りなさげな推理作家にして火村の理解者・有栖川有栖

ちょっと危うげなバランス感覚の二人が織り成す驚愕のミステリー。それが本作だ。

 

第一話は「NIGHT PROWLER」(ナイトプローラー)を名乗る連続通り魔殺人犯の正体を追うという話だった。

 

「ナイトプローラー」という犯人の通り名は、本作の世界におけるアドベンチャーゲームのキャラクターから取ったものらしい。マスコミもそれを知ってか、いつも通りの論調で犯人像を勝手に推測し、公共の電波に身勝手極まりないゴミ情報をまき散らすのである。

 

 

要約すると、「現実と妄想の境目がわからなくなった若者の犯行」であり、

「その原因はすべてゲームや漫画やアニメなどのオタク文化にある」のです(キリッ!)。

 

 

……こんなことを本気で考えている人間が未だに存在しているとしたら、真横に立って大声で「バーーーーーーーカ」と叫んでやりたい衝動に駆られる。

 

人間は、そう簡単には自分の意思を変えない。変えることができない。

他人の話など聞いているフリだけして聞き流しているし、理解しようとする気さえない。

そんな人間が、たかだか数回~数十回だけ読み聞きした文章やら映像やらによって、自分の考えを変えられるはずがない。

もし仮にその程度で何らかの情報に影響されるのだとしたら、その人間はどんなことからでも簡単に影響を受ける自我の弱い人間なのだ。親がこう言ってたからああしよう、友達があれを買ってたから自分も買おう、上司に圧力をかけられたから仕事がなくても残業しよう……などなど。自我が弱い、自分の意見を持たないか少ない極々限られた特殊すぎる人間と、その他大勢の自我に塗れた人間とを一緒くたにするマスゴミの責任転嫁の手法にはほとほとうんざりする。

 

そのあたりは、ゲーム会社の製作者の一人が(挙動不審になりながら)まくし立てるように警察に反論していたので、まさに「それな」である。

(どっかの某議員が成人マンガの性的描写は子どもに悪影響を与えるからアウトだけど、小説の性的描写は個人個人に認識の差があるからOKなどというザルな判断基準をぶち上げていたこともあるし、この手のボーダーラインに関する議論では必ずと言っていいほど愚か者が台頭してくるので頭が痛い)

 

 

今回の事件の犯人だが、予想の斜め上をいく犯行動機だった。

曰く、「現実と妄想の区別がつかなくなるという感覚が知りたくて人を殺した」である。

 

もうね、何を言っているのか本当にわからないよ。

 

これなら、「むしゃくしゃしてやった、反省はしてない」のほうがまだ理解できる。この犯人の中にあったのは、犯罪に対する虚ろな好奇心である。それがたまたま殺人に発展しただけで、もしかしたら誘拐や強姦やテロなどをしでかしていた可能性もある。人を殺すことそのものよりも、人を殺すことによって自分がどう感じるかを知りたいなどと言われたら、どう対処していいのかわからない。こんなもの、ただのサイコパスとしか言いようがない。このような犯人に対してもマスゴミはお得意の「サブカルチャー原因説」を持ち出すのだろうか。

 

 

わからないというと、犯人を庇って自殺した姉の心理も理解しがたい。

罪を犯した弟を庇いたいけど、秘密を抱えて生きるのもいや→そうだ、自殺しよう。

――という思考をたどったのだと思われるが、どうしてそうなるのだろうか。

理不尽に殺された被害者やその遺族のことを考えるなら、弟のことなど二の次になるのが普通の思考ではないのか。自分が取り返しのつかないことをしてしまったとき、謝るよりも先に隠すことを考える人間でなければ、上記のような発想にはならないと思えるのだが、それは気のせいか。それとも、弟が犯罪者として世に晒されることで自分の地位が危うくなることを悲観したのだろうか。かの秋葉原通り魔殺人の犯人・加藤智大の弟は、心無い誹謗中傷やマスゴミからのストーカー紛いの取材に疲れ果てて自殺してしまったと聞くし、死ぬ理由としたらそちらの方が現実味がある気がするのだが。

とはいえ、他人のために死ぬなんて真っ平ごめんである。自分が死ぬくらいなら、たとえ身内であったとしても犯罪者を警察に突き出したほうが1億倍ましだと思えてしまうのは、私が非情極まりない人でなしだからなのだろうか。

 

 

 

主人公の一人、火村准教授が犯行状況を想像するとき、殺人の実行犯として彼の脳裏に現れるのは彼自身である。彼は相棒である有栖川に、「人を殺したいと思ったから、犯罪に興味を持った」という趣旨の発言をした。彼がどのような人生をたどってそのような人格になってしまったのか、この先の展開で明らかにされるのだろうか。

 

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というニーチェの言葉がピタリと当てはまりそうな危うさのある火村と、彼を現実につなぎとめている友人にして相棒である有栖川。二人の今後の活躍に期待を膨らませつつ、今夜は休みたいと思う。