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悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

ヒガンバナ 第4話

録画したものを鑑賞いたしましたので、記録をとりたいと思います。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

第4話は、夜の公園にて爆発事件が発生し、一人の科学者が亡くなった。一方で峰岸刑事は図書館でとある男性と出会うのだが、その男性は爆発事件の被害者の同僚だった……などの展開だった。

 

捜査七課の面々からも突っ込まれていたが、「書棚から同じ本を取り出そうとして手が触れ合ったことをきっかけとした出会い」などというものが今どき(昔もだが)成り立つものなのか。

だいたい、自分が探している本が置いてある書棚の前に誰かが立っていたら、その人がいなくなるまで待ってから書棚に向かうものではないだろうか。本を選ぶときに隣に誰かがいたら邪魔で仕方がないし、お互いに遠慮してしまって落ち着いて本など探せないと思うのだが。仮に二人の人物が互いの存在に気がつかないまま同じ書棚の前に来てしまい、たまたま偶然にも同じ本へ手を伸ばしてしまったのだとしても、やはり不自然さは拭えない。数歩も離れていない距離に人がいることにも気づかないなんて、どんな見通しの悪い書棚なのかと。円形でもしているのか。このような状況は偶然で起こることなどありえない。少なくとも片方は、すぐそばに別の誰かがいることをわかったうえで本に手を伸ばしているはずである。まあ、その本に手を伸ばすという行為が純粋にその本を取りたかったからなのか、その本を取ろうとしている隣の誰かの手を取ろうとしたのかは議論が分かれるところだが。

 

こんな下らない前置きはさておいて。

今回の話は科学の徒における負の側面が垣間見える内容となっていた。

 

直近のドラマでは「下町ロケット」(ガウディ編)でも描かれていたことだが、この手の閉ざされた専門業界では情実人事が幅を利かせることがあまりにも多い。純粋にその人の実力を評価するのではなく、自分が出世するために必要な人物かどうか、単に自分が優越感に浸れるための駒かどうかということばかりが重要視されている気がしてならない。そして、そのような不実な評価方法を改めさせる組織も仕組みも存在しないか、存在したところで形骸化している。

 

 

ホントもうね、日本はじまったな!(皮肉をこめて)

 

 

このような老害(高齢者とは限らないが、得てして権力者は高齢であることが多い)がやりたい放題やっているから、この国はいつまでたっても良くならないのである。筆者は政治思想の右も左も保守も刷新もタカもハトもまったくをもって興味もなければ分類したいともされたいとも思わないけれど、ことこの問題に関してだけは強い意見を持っている。

 

日本をよりよくしようと思ったら、ある一定年齢より上の人間からすべての権力を剥奪するしかない。無論、形だけは表舞台から退いて裏から操り放題などという『院政』のような悪行も封じたうえで、である。

 

人は年齢を重ねて進化するよりも、退化する人の方が多い。それは知能や技能のことではなく、心が壊れていくのである。それを指して「世間ズレする」なんていう表現もあるが、実際にはもっとどす黒い汚泥のような代物に成り果てていく。経験を重ねて悪知恵ばかりを身につけた人間にはさっさと社会から、世界から退場していただきたい。そうでなければ、いつまでも理不尽は理不尽のまま放置され続けることになる。

 

 

愛にはいろいろな形がある、というわかったような言葉がある。

今回の被害者は、男に貢ぐという形で自分の愛を表現しようとした。しかしそのための金を得るために、犯人をえげつなく脅迫するという方法を選んだ。

人はすべての人を愛することはできない。大事な人のために誰かを犠牲にしなければならないときがある。だが、犠牲には限度があり、犠牲にしたことで責任を負わなければならないのも自明だ。今回の被害者は、その自明の理を見失っていたために殺されたのである。とくに同情する気にはならない。

 

 

さて今回、来宮刑事は情報を集めるためにフリージャーナリスト菊池に協力を仰いだ。菊池のストーカーじみた追っかけ取材にうんざりして、逆に彼を利用してやろうとでも思ったのだろうか。前回の話から急激に接近度合いが高くなった気がするのだが、それでいいのだろうか。

 

今後の展開に期待である。