悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

羊たちの沈黙

長年、見よう見ようと思いながら見送り続けていた作品をついに鑑賞することにいたしました。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

●概要

カンザスシティ (ミズーリ州)ほかアメリカ各地で、若い女性が殺害され皮膚を剥がれるという連続猟奇殺人事件が発生した。逃走中の犯人は“バッファロー・ビル”と呼ばれていた。

FBIアカデミーの実習生クラリススターリング(ジョディ・フォスター)は、バージニアでの訓練中、行動科学課 (BSU)のクロフォード主任捜査官からある任務を課される。クロフォードは、バッファロー・ビル事件解明のために、監禁中の凶悪殺人犯の心理分析を行っていたが、元精神科医の囚人ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンズ)は、FBIへの協力を拒絶していた。クラリスは、クロフォードに代わって事件に関する助言を求めるため、レクターの収監されているボルティモア州立精神病院に向かう。

 

羊たちの沈黙 (映画) - Wikipedia

 

 

●感想

1991年に公開されたアメリカの映画。

主演はジョディ・フォスターアンソニー・ホプキンス

 

のちにこの作品の関連作として「ハンニバル」(2001年)、「レッド・ドラゴン」(2002年)、「ハンニバル・ライジング」(2007年)が発表されている。

いずれもトマス・ハリスによる小説「ハンニバル・レクター」シリーズの映像化作品である。

なかでも「羊たちの沈黙」は数多あるサイコ・サスペンスのうち、ここ20年ほどに発表された様々な作品の手本になっていると思しき名作中の名作だ。

 

 

物語は、FBIの訓練生であるクラリスが収監中の凶悪犯であるハンニバル・レクター博士の動向を探るように指示されたことから動き出す。半分はまだ学生の身分であるクラリスであれば、レクターの警戒心を解きやすいと考えられたのである。

 

クラリスは生真面目で、仕事熱心な女性である。レクターと接触を図るために、訓練生の身でありながら一時的に捜査権を与えられて奮起していた。

 

しかし、レクター博士は正真正銘の異常犯罪者である。何人もの人間を手にかけ、彼らの血肉を食べた凶悪犯なのだ。彼の担当医であるチルトン医師から被害者の写真を見せられ、意気込みを砕かれるクラリス

 

それでも彼女は、ガラス窓越しにレクターと対面し、会話を試みる。レクターは一見すると知的な紳士に思えるが、会話のなかで時折狂気的な一面も見せる。新米捜査官であるクラリスは負けじとレクターと向き合おうとするも、軽くあしらわれてしまう。

 

だがどういうわけか、レクターは昨今発生している連続猟奇殺人事件に興味をもったらしく、回りくどいヒントを出しながらクラリスに協力してくれるようになる。どうやら、「バッファロー・ビル」とあだ名される連続殺人犯は、かつてレクターの患者だったらしいのだ。

 

 

映画の前半は、クラリスレクター博士の対話が主で、捜査はあまり進展しない。新たな犠牲者が犯人に連れ去られてしまったりと、FBIの能力に疑問が持たれそうな展開である。クラリスに関して言えば、主たる任務がレクターの観察であるため、「バッファロー・ビル」の捜査は建前になっている感はあった。(当人は真剣そのものだったが、まわりの人間が彼女を歓迎していなかった)

 

 

しかし、映画は後半に入ってからスピード感を増していく。というのも、クラリスが「バッファロー・ビル」の行方を追っている間に、レクターが警備員を惨殺して脱走してしまったのだ。

 

これが本作の「サイコ」成分そのものとも言えるレクター最大の見せ場なわけだが、これら一連の流れが「バッファロー・ビル」を捕まえることに何ら関係しなかったのが少々残念ではあった。ここだけミステリーからサイコホラーになってしまっているというか、やや浮いている展開のように思えてしまった。

 

レクターは脱走する前に、クラリスにいくつかのヒントを残していった。それがレクターに対して礼をわきまえた接し方をし続けたクラリスへのご褒美だったのかはわからない。ただ、クラリスはこれらのヒントを元に連続殺人犯の居場所を突き止めたのである。(裏を返すと、レクターからの情報がなければ、FBIは真犯人の居所をつかめなかった可能性すらあった。やはりFBIの捜査能力に疑問を差し挟まざるをえない)

 

犯人と対峙したときのクラリスの怯え方が素人そのものだったのが、かえってリアルに感じた。彼女はまだ死線をくぐったこともない訓練生の身分である。そんな人間がいきなり凶悪殺人犯を捕らえなければならない状況になったら、ああなってもおかしくはない。ただ、クラリスは犯人を射殺してしまったため、犯人が何を思ってこのような犯行を繰り返したのかは、レクターによるプロファイリングで予想するしかなくなってしまった。それが残念といえば残念である。

 

 

性的倒錯者ではないのに、幼いころのトラウマが原因で性的倒錯者であると思い込み、そうであろうと振舞う。それが犯人の人物像だった。

何年か前に「女性嫌いがいきすぎて、ゲイではないのにゲイとして振舞おうとする男性」の特集記事を読んだことがある。性的指向は生まれ持ったものであり、本来、意志の力でどうこうできるものではない。それにもかかわらず、自分の意志によって性的指向を捻じ曲げようとすれば、異常なストレスがかかってしまう。記事に掲載された男性もそのことで苦しんでいるようだった。

バッファロー・ビル」による一連の犯行は、そのストレスのはけ口を自分自身ではなく他者へと向けたことが発端だったのではないか。確かに、自分にないものを求める感情というものは誰にでもある。だがそれが殺人に結びついてしまうとすれば、そこには何か強大なエネルギーがなくては成立しないのではないか。例えば、上記で述べたようなストレスとか。

 

 

余談だが、筆者の愛好する「Innocent Grey」のノベルゲーム「殻ノ少女」において、ハンニバル・レクター博士をモチーフにしたと思われる人物が登場する。wikipediaにて知ったレクターの生い立ちが、「殻ノ少女」の設定資料集で明かされたその人物の来歴と被っていることが多いため、おそらく間違いはないだろう。

 

およそ2時間、眉間に皺を寄せながら見させてもらった。レクターによる殺戮シーンが頭にこびりついて、2~3日は抜けなさそうである。近日中に関連作品も見ていきたいと思っているが、これ以上のサイコ(むしろグロ?)成分は勘弁してほしい気がしないでもない。