悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

臨床犯罪学者 火村英生の推理 第4話

ハードディスクを見返してみたところ、驚愕の事実に気づいてしまいました。

2月15日に第4話だと思って見ていたのが第5話で、1話飛ばして見ていたのです。

そのため、二週間遅れで前の話を鑑賞するという順番ミスをしてしまったことをここに報告すると共に、読者諸氏の皆様を混乱させてしまったことを心よりお詫び申し上げます。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

 

第4話は、宝石商の男が自宅に備え付けられたフロートカプセルの中から遺体で発見された。有栖川は事件関係者の一人に、かつての同級生の面影をみるのだが……などの展開だった。

 

宝石商の被害者が「繭」と呼んでいたフロートカプセルなるものについて、wikipediaでは次のように記載されている。

 

アイソレーション・タンク

 
ポッド(Pod)と呼ばれる新型のタンクで、車のドアのように開閉し、光や音楽を流すことも出来る。
アイソレーション・タンク(Isolation tank)は、感覚を遮断するための装置であり、光や音が遮られた空間で、皮膚の温度に保たれた高濃度のエプソムソルトの塩水に浮かぶことで、皮膚感覚や重力の感覚を大きく制限することができる。リラックスを目的として、また心理療法や代替医療として使われている。1990年代以降はヨーロッパを中心にフローティング・タンク(floating tank)と呼ばれることが多い。遮断タンク、瞑想タンク、サマディ・タンクとも呼ばれる

 

アイソレーション・タンク - Wikipedia

 

 

なんでも、このカプセルに入ることによって高い瞑想の効果が得られ、発想力が増したり精神が集中できたりと、メンタルに良い影響を与えるとかないとか。母親の胎内を元に発想したものなのだろうか。

 

 ちなみにこの「フロートカプセル」なるものを購入する場合は100万円以上もかかるらしい。60分で10000円払えば寝心地を体感させてくれる施設もあるらしいが、なんにせよ高級な嗜好品である。貧民たる筆者には永遠に縁遠い商品だ。

 

 

今回の話は複数人の容疑者が登場する、犯人当ての要素が高いものだった。しかし、今回の話はそれよりも、有栖川の過去に触れられた点が嬉しい。

 

有栖川は高校時代、片思いしている女生徒がいたらしい。女生徒にラブレターを手渡したその日の晩に、彼女は手首を切って自殺を図った。幸い一命は取り留めたものの、有栖川はそれ以降、その女生徒と話す機会を持てないまま卒業してしまった。

 

女生徒が何を思って自殺しようとしたのか、学校に戻ってきた女生徒にどうして何も話を聞かなかったのか、そのことが有栖川の後悔に繋がっているのだという。

 

そして今回の事件の容疑者の一人である宝石商の秘書が、有栖川の片思いしていた女生徒に似ていたのである。

 

彼女によると、自分はどこにでもいるありがちな顔だから、よく他人から「誰それに似ている」ということを言われるのだという。

 

過去の思い出から秘書に好意的な態度を取る有栖川だったが、彼女は事件のキーパーソンだったのだ。

 

今回の事件は、秘書とデザイナーに横恋慕した宝石商の嫉妬がもたらしたものだったのである。元々は、宝石商がデザイナーを殺害するために家に呼び出したのに、逆に返り討ちされてしまったというのが真相である。

 

宝石商と秘書とでは親と子ほどの年齢差がある。それでも宝石商が秘書を好いてしまったのは、彼女が宝石商の亡き母の面影があったからである。

 

人に好かれやすいことを魔性と表現するならば、彼女は間違いなく「魔性の女」であった。もちろん本人に悪意がない以上、そのような表現は慎むべきではあるだろうが。

 

ただ彼女は、事件を解明した火村に対して次のような発言をしている。

 

「あなたの推理で、私と彼(デザイナー)の人生は大きく変わってしまった。こんなことをして楽しいんですか」

 

これは少々よろしくない。もしも火村が正しい推理をしなければ、何の罪もない別人が宝石商を殺した罪で裁かれる可能性が高かったのだ。気持ちはわかるが、火村を責めるのはお門違いであろう。

 

事件の大半は金銭がらみか色恋によって起こるとは言うけれど、今回もまたそのような事件であった。

どちらも自分に無縁のことであるのが嬉しいような、悲しいような夜である。