***注意はじめ***
以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。
また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。
当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。
***注意おわり***
●概要
昭和14年夏。日独伊三国軍事同盟をめぐり、締結を強く主張する陸軍だけではなく、国民の大半も同盟に希望を見いだしていた。そんな中、海軍次官の山本五十六(役所広司)、海軍大臣の米内光政(柄本明)、軍務局長の井上成美(柳葉敏郎)は、陸軍の圧力や世論にも信念を曲げることなく同盟に反対の立場をとり続ける。しかし、第2次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)し……。
●感想
2011年に公開された日本の映画。
主演は役所広司氏。
最近はあまり放送されていないが、氏を見るとどうしても「ダイワハウスの人」というイメージが強すぎて、渋いのにおもしろいCMに出ていたときのことばかりが思い出されてしまう。もちろん、「Shall we ダンス?」やら「最後の忠臣蔵」のように粋な作品にも出演されている方のため、そう悪いイメージであるはずもないのだが。
2015年12月30日にテレビ放送されいたので録画したものの、放映時間が2時間30分という長さだったためしり込みしてしまい、なかなか見る機会を得られないまま今日まで来てしまった。
本作は海軍次官の山本五十六を主役に据えた、第二次世界大戦に至るまでの道筋を描いた映画である。
当方、あまり戦中史についての知識がないため甚だ見当違いなことを述べる恐れがあるが、ひとまず本作を見て思ったことを中心に書き散らしていきたいと考える。
まず山本五十六という軍人について。
あまりに有名な人物なため名前だけは知っていたが、具体的に何をした人物かということについてはとんと忘れてしまっていた。海軍次官というと海軍大臣に次ぐ役職、つまりは海軍のNo.2だったことは何となく覚えていたが、日独伊三国同盟に反対していた人物だったとは記憶になかった。
本作では、この山本五十六という人物を非常に聡明な人物として描いている。世論を戦争へと導こうとする新聞屋の愚考を諌めたり、ドイツと手を組めさえすればドイツがアメリカをけん制してくれるはずなどという都合のいい未来しか見ていない軍部の人間に反論したりと、まるで賢者のような言動が目立った。日本とアメリカの国力差を冷静に見極めたうえで戦争をするべきではないと至極論理的でまっとうな意見をたびたび口にしていた。
しかし、当時の海軍大臣は「戦争ありき」の軍中枢やら国民世論に流されるだけの愚か者だったせいで、もしもアメリカと戦争になったとしても充分な戦力を確保できないとわかっていたにもかかわらず三国同盟締結を山本五十六に認めさせてしまった。
その結果、彼は一貫して戦争に踏み出すような行動は控えるべきと主張していたにもかかわらず、軍の命令によって真珠湾攻撃を主導する立場にさせられてしまった。
真珠湾攻撃と言えば、日本側の最後通牒がアメリカに届くまえに攻撃をしかけてしまったことでアメリカ側の怒りを買い、さらには日本撃滅の大義名分まで与えてしまった愚策である。少なくとも、だいたいの学生はこういった趣旨のことを覚えさせられてきた。
本作ではその点は概ねその通りに描いているのだが、なぜアメリカの怒りを買う結果になってしまったのかについてまったく未知だった論考を提示してくれた。
曰く、真珠湾攻撃の最大の目的は「アメリカが所有する莫大な空母を消耗させることで戦力を削ぎ、早期の講和を目指すこと」だったのである。
しかし山本たちが考案した作戦は南雲中将らの反抗によって成果のないまま終わってしまい、さらには在アメリカ日本大使館のミスによって宣戦布告なしの奇襲をしたという汚名まで着せられることになってしまった。
一貫して戦争反対を論じていたのに戦争の火蓋を切る役目を負わされて、せめて戦争をはやく終わらせるためにと考えた作戦も無駄になってしまった。山本五十六の無念さは察するに余りある。
映画は全編を通してこのような流れで進行していく。山本五十六は戦死する瞬間まで戦争の早期決着(=講和条約の締結)を目指してあらゆる作戦を実行に移すも、部下の反乱やらなにやらでふいにされてしまう。
言葉だけで説明するとなんとも味気ない話ではあるが、そこに至るまでの山本たちの苦悩を会話や仕草などによって本作は描いており、中々に見所のある作品だと思った。
また本作を見ると、「戦争を主導していたのは陸軍と愚かな国民であり、海軍には戦争反対論者がそこそこいた」という主張が見え隠れしている気がしてならない。
マスコミも一般市民も、戦争は軍人が海の向こうで勝手にやってくれて、勝手に成果をあげて自分たちを豊かにしてくれる便利なイベントぐらいにしか考えていなかったと、本作は述べているように思えてならない。
もちろんそれはある意味で正しいのかもしれないが、正直自分がそんな愚かな国民の子孫であるなんて思ってしまったら恥ずかしすぎてどうにかなってしまいそうである。後の世になってみると、戦争当時の日本人というのは本当の本当に無策で愚かで哀れな人種だったのだと思う。
およそ2時間ちょっと、大いに楽しませてもらった。戦争ものの映画の場合、ストーリー展開が地味で小難しい解説ばかりということも少なくないのだが、本作はそういうこともなく、だいぶわかりやすくドラマ仕立てになっていた。
ただ山本五十六という人物については賛否両論あり、本作で描かれたような智将どころか、決して前線に出て戦おうとしなかった史上最低の愚将という見方をする者もいるらしい。
これは本作の監修者であった歴史家・半藤一利氏に対する批判も含まれているのかもしれないが、なんにせよ人の意見というのは人の数だけ存在するのだと思い知らされる。
本作で描かれたことがどこまで事実と近かったのか、一視聴者である自分には見当もつかないが、それはきっと個人個人で判断するべきことなのだろう。