悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

ふしぎな岬の物語

先日、地上波初放送されていたため、録画しておいたものを鑑賞いたしました。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

 

千葉県南部のとある岬に、「岬カフェ」という小さな喫茶店がある。海原を望める質素な店だったが、馴染みの客には人気があった。ある日、店主・柏木悦子のもとに不思議な親娘が訪ねてくる。虹を追いかけて東京からやって来たという幼い女の子は、店に飾られた虹の絵を見て感激する。その絵は、悦子の亡くなった夫の遺作であった。それから悦子のまわりでは次々に変化が訪れる。泥棒に入られ、上京した知人の娘が帰郷して、30年来の客が地方に左遷され、知人が病に倒れ。そして再び現れた不思議な女の子は、亡き悦子の夫が「自分の絵を返せ」と言ってきたといい……という筋。

 

 

主演女優である吉永小百合氏が初めて映画の企画段階から参加し、モントリオール世界映画祭にて数々の賞を受賞したという2014年の映画。

原作は森沢明夫氏の小説『虹の岬の喫茶店』。

 

年代もののコーヒーマシンと、客間のど真ん中に設けられた薪で焚くストーブ。まるでどこかの雪国でも連想しそうな洒落た喫茶店を舞台にしたヒューマンドラマだった。

 

前情報なしにいきなり映画を見たため、最初は人間関係が把握しにくかった。

主人公である悦子の側にいる暴れ者の中年男性・浩二。二人が叔母と甥の関係にあると明確にわかるのは映画の中盤になってからである。周りの登場人物の話しぶりから、悦子が浩二を育てたのだということは想像できたが、なんともいえないモヤモヤがあった。

 

どうも浩二は自分を育ててくれた悦子が好きだったらしい。彼の言葉にできないもどかしさを表現するために、あえて人間関係についての言及を避けた描写をしていたようにも見えた。

 

とはいえ、この物語は安直な恋愛ものなどではない。

喫茶店の店主・悦子が店を訪れてきた客を癒すという物語でもなかった。

 

この物語は、悦子の孤独を埋めていた日常の終わりを描いたものである。少なくとも筆者はそのように感じた。

 

映画の中盤をすぎると、悦子の親しかった人たちは様々な理由で次々に店へ来なくなる。とどめに東京から来た親子が、店に飾ってあった夫の遺作を預かりに来た。それも、(女の子の言葉を信じるならば)悦子の亡き夫の幽霊に指示されて、である。

 

映画終盤における吉永小百合氏の鬼気迫る演技に不覚にも身震いしてしまった。今まで溜め込んでいた不安や孤独が爆発し、甥の浩二に叩きつけるように喋り倒すシーンがそれである。

 

何もないように見えている人ほど、人にはわからない悩みを抱えている。安っぽい言葉で恐縮だが、そのように理解させてもらった。

 

 

悦子の過失で喫茶店は全焼してしまったが、店が無くなったあとの町の人々の優しさに心が和んだ。悦子は自分はずっと孤独だったと嘆いていたが、彼女を慕っている人々はこんなにも大勢いたのである。彼女はこれから、新しい一歩を踏み出すことができるはずである。

 

 

映画の前半と後半で温度差が激しい映画というと、まっさきに「ライフ・イズ・ビューティフル」が思い浮かぶのだが、本作は本作でとてもドキリとさせられた。

 

なかなか心に残る良作だったのではないだろうか。

(――と、わかったようなことを言ってみる)