悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

ロレンツォのオイル

知人からの強い勧めにより、急遽DVDをレンタルしてきた次第です。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

●概要

ひとり息子であるロレンツォの難病を治すことの出来る医師が居ないと知り、オドーネ夫妻(夫オーギュストと妻ミケーラ)は医学的知識が無いにもかかわらず自力で治療法を探すことを決意。

治療法を見つけ出すため、もはや手の尽くしようがないと信じる医師、科学者、支援団体らと衝突する。しかし自らの意志を貫き、医学図書館に通い詰め、動物実験を参照し、世界中の研究者や一流の医学者らに問い合わせ、さらに自ら副腎白質ジストロフィーに関する国際的シンポジウムを組織するに到る。

死に物狂いの努力に関わらず、息子の様態は日々悪化する。次第に彼らが参加していた支援団体のコーディネーターからも疑いの念が抱かれるなか、彼らは食餌療法として特定のオイル(実際にはエルカ酸とオレイン酸のトリグリセリドを1:4の割合で配合したもの)に関する治療法を思いつく。100以上の世界中の会社に問い合わせた結果、適切な方法で蒸留することが出来る定年間近の英国老化学者を探し出す。

ロレンツォのオイル/命の詩 - Wikipedia

 

 

●感想

1992年に公開されたアメリカの映画。

主なキャストは夫・オーギュスト役にニック・ノルティ、妻・ミケーラ役にスーザン・サランドンが出演。

 

二人とも何処かで見たことがある顔だと思ってWikipediaで調べてみたところ、ニック・ノルティは「ホテル・ルワンダ」に、スーザン・サランドンは「テルマ&ルイーズ」に出演していた。どちらも傑作ではあるものの、出演者の顔と名前をあまり意識しないまま見ていたためうろ覚えだった。

 

 

さて、本作は1984年に起きた実話を元に作られた映画である。

オドーネ夫妻の息子・ロレンツォ少年は、ある日突然に学校で暴れだした。当初それらは同じ行動を繰り返す「反復性症候群」なる病の亜種ではないかと思われたが、精密検査の結果、オドーネ夫妻は残酷な真実を知ることになる。

 

ロレンツォの病名は、副腎白質ジストロフィー(=ADL)。原因因子を持った母親から男児に遺伝して、遺伝した場合の発症確率は50%とも言われている死の病であった。当時、この病に名前がつけられて10年ほどが経過していたが、有効な治療法が見出されないことから、事実上の不治の病とみなされていた。発症した子どもたちは歩行障害や言語障害、失明などの重篤症状を経てから、長くても2年以内に死んでしまうのである。

 

このような診断を受けたらショックの余り気が狂ってしまってもおかしくはない。その子を愛していればいるほどに、その衝撃は大きかっただろう。実際、病名を診断された直後のロレンツォの父・オーギュストの嘆き方は半端ではなかった。自分の手でADLの症例について調べ、患者たちの絶望的な末路を知ったオーギュストは、階段から転がり落ちて咽び泣くのである。

(個人的に、父親の子どもに対する向き合い方はもっと淡白なものだと思っている。だが、ここまで子どものことについて悲しんだオーギュストは、母親であるミケーラ並みに息子のことを愛していたのだと推察できた。こんな父親も世の中にはいるのだろうか)

 

 

この映画の本領はこのあとの展開である。

 

当時の医師たちのスタンスは、「原因も対処法もわからない奇病に向き合っている時間も金もない」というものだった。そのため、救いの手を求めて様々な医療機関に問い合わせても、ロレンツォを実験動物か何かのようにあつかう人々ばかり。誰もロレンツォ個人を本気で助けようとしてくれる人はいなかったのである。

 

しかしオドーネ夫妻は諦めなかった。医師の誰もが匙を投げるこの病について、なんと自らの手で調べ始めたのである。それも、インターネットが一般普及していない1980年代だったため、図書館に通い詰めて医学書を片っ端から読んでいったのだ。

 

これだけでも息子への鬼気迫るほどの愛情を感じるが、彼らのすごさはそれに留まらない。紆余曲折と苦悶の日々を経て2年余りで、オドーネ夫妻は当時の医師や生理学者たちを越えるADLの対症理論を打ち立ててしまったのだ。

 

その理論をもとにして作られたのが、映画のタイトルにもなっている「ロレンツォのオイル」である。詳細は省くが、これはオリーブオイルから特定のたんぱく質だけを取り除いた代物である。これを摂取することにより、ADLの原因となっている長鎖脂肪酸を低減させられるのだ。

 

物語は、オイルによってロレンツォの症状が瀕死の状態から脱却できた時点で終わる。脳が傷ついているため、自分の意思で起き上がることも喋ることもままならないが、瞬きの仕方によってYES・NOを表現できる程度までには回復した。一時は痙攣と発作によって窒息死してもおかしくない状況だったのに、大した成果である。

 

 

あらすじだけを述べるなら以上であるが、あとは補足的に映画を見て思ったことを書き散らしていきたいと思う。

 

医学の進歩が遅いのは、医師たちがとても慎重な考え方に基づいているからだということを映画の中で何度も主張していた。たった一人やそこいらに効果がある治療法が、すなわち万人に効くとは限らない。医師は患者個人だけでなく、未来の患者すべてにまで責任を負っているのだと、とある医者は発言した。職業倫理からすれば、それはもっともな発言だと思う。

しかし、今にも死にそうな子を持った親の立場では、それらの理屈を受け入れることはできないだろうとも思う。露悪的に言えば、「他人なぞ知るか! うちの家族を治してくれよっ!!!」と誰だって言いたいはずだからだ。

では、この二者はどうすれば歩み寄ることができるのか。片や迂闊な判断はできないと言い、片や可能性があるなら何でも試してくれと言う。双方に文句が出ないなら、その新しい治療法を望む人間にだけ試して、あとは自己責任で対処すればいいのだろうが、いざ問題が起こったらそういうわけにはいかなくなる。難しい、あまりに難しい問題だ。

 

個人的に驚いたことの一つに、オモウリ青年の存在がある。彼は、オドーネ夫妻が仕事のためにコモナという南アフリカの国に赴任していたころのロレンツォの遊び相手だった。ロレンツォの看病に疲れ果てた看護師たちが何人も辞めていくなか、母・ミケーラはオモウリ青年をアメリカに呼び寄せて看病してもらうことを思いつく。父・オーギュストは止めたが、すでにコモナへ手紙を送ったあとのことだった。

普通の感覚なら、たかだか数ヶ月かそこいら遊んでいた友達のために海を隔てた外国へ渡っていこうなどと思わないはず。相手にも相手の生活があるのだから。これに関してはオーギュストが正しい。ミケーラはロレンツォの看病にとりつかれて、判断基準が鈍ってきていたのだろう。

しかし、オモウリ青年はアメリカに来てくれた。それも、ロレンツォの看病をするために泊り込みで、である。自分の友達観では常軌を逸しているとしか言えない行動だ。しかし、ロレンツォの症状がほんのわずかでも回復に向かったのは、彼の存在があったからなのではないかとも思えるのだ。

 

 

映画自体は1992年に公開されたが、現実のロレンツォ少年はそれから先も生きていた。

しかし、オドーネ夫妻が苦労の末に見つけ出した「ロレンツォのオイル」という名の特効薬は、すべてのADL患者に効くものではなかった。そのために一時期は詐欺師呼ばわりまでされていたのだというから、世間の掌返しにはうんざりするものがある。結局、2005年にADLへの予防効果があることが証明されたため、今でも「ロレンツォのオイル」は治療に使われているらしい。

 

現実のロレンツォ少年は2008年に30歳で亡くなったという。

その生涯の大半を寝たきりで過ごさざるを得なかった彼に、哀悼の意を表したい。