ようやっと最終回が見れたと思ったら、気がつけば半月以上も時が過ぎているとは、油断できないものですね。
***注意はじめ***
以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。
また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。
当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。
***注意おわり***
第12話「It is always darkest」
(英語のことわざ。
意味は「夜明け前がいつも一番暗い」→「明けない夜はない」)
苗木たちの行動を縛っていた腕輪が外れ、ついにコロシアイは終了した。しかしその直後、御手洗の携帯電話に既に死んでいるはずの天願会長からのメールが送られてくる。宗方の推理によって絶望の残党であると断定されていた天願会長。彼から送られてきたメールの内容は、驚くべきものだった……などの展開。
宗方の推測はある意味では正しかった。
確かに、このコロシアイを画策した黒幕は天願会長だった。
しかし、天願会長は絶望の残党ではなく、素面の状態だった。
それにもかかわらず、なぜ天願会長は自分の愛するべき希望ヶ峰学園の卒業生たちを殺し合わせるようなマネをしたのか。
それは、御手洗に対して「希望のビデオ」を全世界へ向けて放送させるように仕向けるためだった。
御手洗はかつて江ノ島盾子に脅されて、自身の映像技術が洗脳に使われることを見逃してしまった。
その後も彼は自身の映像技術を磨き続け、ついに「映像を見た人間を苦悩や絶望から解放された、希望に満ち溢れる理想的な人間にする」という映像を完成させたのだという。
もし仮に地球上の全人類がその映像を見れば、お互いを憎しみ合うこともなくなり、争いの種は消えるだろう。
天願会長は、こんな狂った希望を実現させるためだけに多くの部下たちを死に追いやったわけである。
真相を知ると、生前の天願会長の言葉が違った意味に聞こえてくる。
宗方と対峙した天願会長は言っていた。
「若者は急進的になれば世界を変えられると思いたがるが、それは甘い」と。
これは、「絶望の残党だと思しきものを皆殺しにしてしまえばいい」という宗方の強攻策を諌める発言のように聞こえたが、そうではなかった。
「この世から絶望が根絶できないなら、全人類を洗脳してでも希望に染め上げてしまえば良い」という、宗方の思想のさらに上をいく過激な意図がそこには含まれていたのである。
かつては宗方をも凌ぐほどの急進派だったという天願会長。その牙はまったく鈍ってなどいなかったわけか。
それにしても、御手洗の持つ映像技術があまりにも凄すぎて言葉を失う。
スマホから流れる映像を見せただけで、相手を意のままに操ることができるとは、もはやアニメーターの域を超えている。この技術を使われてしまえば今回のコロシアイは不発に終わっていた可能性もあるから、彼のNG行動が「才能を使う」に指定されていたことも納得である。
事件の背後にあったすべてのネタ晴らしがされたにもかかわらず、未来編は非常に中途半端な終わり方をしてしまった。
天願会長の真意にも気付かないまま、全世界に向けて「希望のビデオ」を放送しようとする御手洗と、彼を止めようとする苗木くんたち。
苗木くんたちは御手洗によって洗脳された未来機関の救護班によって足止めされてしまい、思うとおりに動けない。
すべての決着は、たった1話だけの希望編に納めるということなのか。それで尺が足りるのか、甚だ心配である。
それにしても、絶望編1話の冒頭での雪染の語りが、死後の世界での出来事だったとは。どうも複雑に物事を考えすぎていたようである。今後は反省しなければ。