悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

2016年のまとめ

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

 

ブログを開設してから早一年、初めの数ヶ月は毎日更新を維持していたというのに、半年経つころには不定期、週一と更新頻度が落ちてしまい、猛省するばかりである。

 

その原因の一つに、「作品を鑑賞した以上は感想を書かねばならぬ」という強迫観念があったのは間違いない。

 

作品に触れたいが、触れた以上は感想をアップしなければならない、でも今は忙しい。なら、作品に触れなければ感想をしたためる必要もない……

 

ゴミ人間の発想である。

 

これでは何のためにブログを開設したのか、まるで逆効果ということになってしまう。

 

 

以前も述べた気がするが、今後はもっと気楽に思ったことを短く、かつだだ漏れで書き散らすように意識するべきだろう。

 

 

――さて、愚痴はこのへんにしておいて。

 

今回は大晦日ということで、自分のサボリ癖ゆえに鑑賞したにもかかわらず感想を書かないまま来てしまった作品たちを思い返して見たいと思う。

 

 

 

 

 

  • 聲の形 (映画)

 

 小学生時代、耳の聞こえない女の子を虐めていた男の子が、後悔の記憶を引き摺ったまま高校生になったところから始まる本作。

 

 昔から「人を虐めるような外道畜生は八つ裂きのうえ野晒しとなって死ねばいい」とは思ってきたけれど、この作品の主人公・将也にはその感想が上手く当てはまらない。

 

 子どもが誰かを虐めるとき、その動機は幾つかのパターンがあると思われる。一つはいじめっ子の家庭に問題があってストレス解消のため。もう一つは、相手のことが気になって気を引きたいがため。本作では、後者が動機だった。

 

 そのせいか、将也は過去に自分が引き起こした事件を引き摺ったまま成長し、他人との接点を持たないように過ごしてしまった。

 

 そんな彼が、かつて自分が虐めていた女の子・硝子と再会し、あまつさえ好意を自覚しまったことから物語は動き出す。

 

 虐めの責任はいじめっ子だけにあるのか。

 耳の聞こえない子どもは社会に受け入れてはもらえないのか。

 どうして人は分かり合えないのか。

 

 数々の重苦しいテーマを扱っておきながらも、本作の結末は非常に救いのあるものとなっている。将也が滂沱の涙を流す最後のシーンは特に印象深い。決して許すことのできなかった自分自身をほんの少しでも見つめなおすことができた、ということだったのであろう。

 

 ただ一つ付け加えるなら、本作は「趣き深い」作品ではあるが、決して「楽しい」作品ではない。万人にみて欲しい(特に他人を虐めているにもかかわらず無自覚なゴミ屑共に)けれど、この映画を見ることによって極大の心的ダメージを受ける人も出てきそう。

 

 それだけは覚悟されたし。あとついでに原作マンガも読んでみたいものである。

 

 

 

・君の名は

 

 あれよあれよという間に日本の歴代映画における興行収入第2位(232.3億円)という偉業を成し遂げてしまったアニメ映画。

 

 東京に暮らす男子高校生・瀧と、岐阜県飛騨地方に住む女子高生・三葉の二人が寝ている間に身体と人格が入れ替わってしまうというトラブルから端を発する本作ではあるが、それはこの物語の一要素に過ぎない。

 

 映画中盤になって、二人は生きている時間に3年のズレがあったことが発覚する。そのうえ瀧が生きている現在、とある大災害によって三葉の暮らしていた村が消滅してしまっていた。つまり、三葉は現在では故人だったのである。

 

 単純な「男女入れ替えもの」と思わせて、実は時間逆行型のSFファンタジーだったという、ラノベ的展開をこれでもかというほど詰め込んだ超が付くほどの王道ストーリーだっただけに、中には既視感を覚えた視聴者もいたかもしれない。

(それゆえに、本作は一般大衆受けがいい割に一部の著名な評論家やクリエイターからは猛バッシングされるという摩訶不思議な現象も起きているが)

 

 たしかにストーリーだけを見るなら取り立てて「凄いっ! 神だわ~っ!!」と褒め称えるようなものではなかったかもしれないが、そのストーリーを盛り上げる映像美と音楽の使い方、何より主役陣の声優に起用した神木隆之介氏および上白石萌音氏の功績が非常に大きいと思える。

 

 つまるところ、総合的にみたときの「表現力」が優れていた作品だと感じるのだ。

 

 これは間違いなく全国民、というか全世界の人にオススメできる類の話だろう。現在日本に忘れ去られた美しさがこれでもかというほど描かれていて、視聴後の感想はとても清々しいものである。

 

 これによって脚本・監督の新海誠氏の評判があがっているようなので、前作「言の葉の庭」のファンであった自分としては嬉しいかぎりである。

 

 

 

 

この世界の片隅に (映画)

 

 クラウドファンディングというインターネット社会を象徴するかのような方法によって資金を集め、実現したというマンガ原作のアニメーション映画である。

 

 地元の映画館でひっそりと上映され始めたときには「ふ~ん」としか思わなかった本作だが、この作品を見たという知人の感想があまりにも暑苦しかったため、それなら観てみようかと映画館に趣いた。

 

 なんというかこう、これはすげぇ……とため息の出るような作品だった。

 

 第二次世界大戦当時の日本の片隅で逞しく生きる若夫婦の生活を描くという、非常に珍しい着眼点を持った本作。

 

 物語前半のほのぼのとした情景が、戦争の最中でも穏やかな日常があったのだということを知らしめる。

 

 一方で、物語後半になって主人公・すずに大きな悲劇が訪れ、戦争の現実を叩きつけられる。

 

 片腕と義姉の娘を失った直後の、デッサンが狂いまくった風景画が今でも頭から離れない。

 

 しかし、それで悲しんだまま物語を締めなかったのが救いである。

 

 「この世界の片隅に、うちを見つけてくれてありがとう」

 

 こちらこそありがとうと言いたい気分になった。

 

 戦争で傷ついた家族が、戦災孤児を引き取って日常へ戻っていくシーンで、本作は幕引きとなる。

 

 「君の名は」の名声の影に隠れて脚光が浴びにくい作品ではあったものの、自分と同じく口コミによって知名度を伸ばしていき、今では全国で上映しているというのだから凄まじいものである。それもこれも、作品自体が持っていた魅力が評価されたと言うことなのだろうけれど。