悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

ヒガンバナ 第3話

録画しておいたものを鑑賞いたしましたので、記録したいと思います。

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

第3話は、主婦の間でカリスマ的存在であるブロガーたちを標的とした脅迫・殺人事件の真相を追うという展開になっていた。

 

当方、「カリスマ」という言葉には生理的嫌悪感を覚えるためあまり使いたくないのだが、感想を書き記すうえでは避けられない。そのため、最小限にとどめるとする。

 

セレブな生活を自慢したり、自身の有能さを誇示して情報提供するようなブログが人気な昨今。主婦たちの間で絶大な人気を誇るブロガーの一人が、本のサイン会の途中で脅迫文入りの本を受け取った。

 

そもそも、本を著者のもとに持って行くまでの間に脅迫文に気づきそうなものだが、その本を持っていた親子連れはまったく気づかなかったらしい。これについては説得力がある説明に心当たりがあるので紹介しておきたい。いつぞや『ヤングエース』で連載中の漫画「燐寸少女」の話で触れられていたのだが、人は期待感に対してお金を払う生き物らしい。だから、中身がどんなものなのかはどうでもよくて、「人がおもしろいと言っているから」「人気そうだから」「それを知っていると賢そうに見られるから」という理由で物やサービスに手を出すのだという。

私は非常にケチで貧乏性な性質のため、中身がわからないものに対して金を払うなどということはすべからく愚行だと考えている。本を買うとすれば、現実の書店に直接出向いて、中身を読んで納得したものでなければ金は払わない。(それは漫画やライトノベルなどにも言えることなのだが、これらが書店で立ち読みできることは稀である。そのため筆者は、新規作品の発掘には中古書店を利用している。立ち読みしたうえで中古の既刊をそろえてから、それ以降の巻を新品で買うのである)

話がそれてしまったが、つまるところ件の親子連れもまた、期待感に対して金を払う人種だったのであろう。書店で話題の本を見つけて小躍りし、一切中身を確認しないまま著者のもとに持ち込んだのだ。この親子連れにとって、本の内容など二の次だったのである。

 

このような人種とは生涯わかりあえないしわかりあいたいとも思わないが、カリスマブロガーなる人気者もこのような構造で生まれた存在なのではないか。つまり、書いてある内容などどうでもよくて、そのブログを見ているというステータスが欲しい人たちが寄り集まっているだけなのではないか。書いてある内容が偉大だろうと稚拙だろうと関係ない、「そのブログ見ているオレ・アタシ、SUGEEEEE!!!!」ということなのだろう。

 

また今回の話では、マスコミのゴミさ加減が浮き彫りになるエピソードが追加された。カリスマブロガーとして名を連ねていた女性の一人が殺害されたのだが、その人がブログに書いていた内容のほとんどが嘘だとわかった。その女性は結婚もしていなければ子どももいない。セレブでもなんでもない、貧乏な契約社員でしかなかった。その女性には結婚に失敗した辛い過去があり、流産によって子どもが産めない身体になってしまった。そんな過去から少しでも逃れようとして、「こうであったら」という願望をブログに書き連ねていたのだが、DAIGOの扮するフリージャーナリスト菊池らの手によって彼女の願いは踏みにじられた。

どうやらマスゴミの仕事は社会正義を実現するための「第四の権力」などではなく、強者に媚びへつらい弱者を虐げることにあるらしい。まったく反吐がでる。

 

テレビ局の人間にも言いたいことがある。カリスマブロガーの話題性を目当てに番組起用していたプロデューサーが、ブロガーである主婦が脅迫を受けていることを知り、面倒になって番組から下ろすという話をしているシーンがあった。その際に彼らが話していたのがだいたいこんな内容である。

 

「使い勝手がよくて番組に出してたんだけどね~」

 

……一人の人間に対して、「使い勝手がいい」そうだ。人間に対してconvenienceという言葉は使うべきではないということくらい、高学歴なマスゴミの一派ならば当然知っているはずである。いったい自分はどれだけ偉くて、どんな立場から物を言っているのかと小1日くらい正座させっぱなしで問い詰めてやりたい衝動に駆られる。

 

 

事件の真相は、ブログを運営するために家庭を省みなかった主婦の嫉妬心から人を死なせてしまったという、なんともやるせないものだった。ブログを書き始めた筆者がこんなことを言うのはおかしいのだが、ブログなんてそんなに魅力的なものだろうか。ブログなんて所詮、それぞれが言いたいこと、伝えたいことを書き連ねるだけの雑記帳である。そんなものがなくても誰も困りはしない。せいぜい、あれば有益な情報が得られるかもしれないレベルの存在である。

 

この辛く醜い薄汚い現実を生きていくために逃避先が必要だというなら、ブログという逃げ場があってもいいとは思う。だが、それが全てになってしまったら人間としてはお終いだ。

 

 

最後にひとつ。

調査対象となっていたカリスマブロガーの何人かが現実を舐めた発言をしていたので一言だけ。

 

「貴様ら、有名税を払う立場だと自覚しているなら、その汚ねぇ懐に溜め込んだ金を市場に吐き出してから死ね!」

 

――愚痴っぽくなってしまいサーセンっした。(しれっ)