悪意ある善人による回顧録

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カルタグラ~ツキ狂イノ病~《REBIRTH FHD SIZE EDITION》 その2

***注意はじめ***
以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

ようやくトゥルーエンドまで到達しましたので、現時点で判明している情報と共に18年ぶりに生まれ変わったカルタグラへの思いのたけをぶちまけたいと思います。

 

 

・追加ルートについて1

はじめに声を大にして言いたいことがあります。

 

原作「カルタグラ」「サクラメント」をプレイ済みだからもういいや、なんて思われている方がいらっしゃれば、考えを改めた方が良いです。

 

原作「サクラメント」でのエンディングはサブ扱いになっており、和菜エンドと由良エンドが大幅にシナリオ加筆・ボイス新録が成されています。

 

こんなすごい見ものを見逃すなんて、仮にもイノグレ作品に興味があるのなら人生の損失と言っても過言ではありません。(注:あくまで個人の感想です)

 

またえらく長くなりそうですので、詳しくは別の記事にて語らせていただきたいと思います。

 

 

・はじまりかたについて

原作「カルタグラ」では巫女装束の女が山中で女を埋めるシーンから始まり、オープニングムービーへと続いていきます。

 

しかしリメイク作である本作では、「sea of solitude」という由良の心象風景を独白と共に見せられたのち、新オープニングへと続くというように演出が変わっています。

 

そのあとは例の山中のシーン、および原作PVで見られた「ただ、待ち続ける~魂の煉獄で」などから成る一編の詩が表示され、本編の物語へと続いていきます。

 

始まりの演出が海を前面に押し出しているためか、サクラメント編の由良ルートにおいて由良が最後につぶやくセリフも「雪が降っていたのね」から「海はどこまでも続いているのね」に差し変わるなど、至る所で作品の全体イメージが変わっている様子が見受けられます。

 

 

・本編について

原作「カルタグラ」では見かけなかったような細かなタイミングで選択肢が増えており、単純にアドベンチャーゲームとしての難易度は上がっている印象を受けます。

 

もっとも、「FLOWERS」「天ノ少女」でも実装されていた「次の選択肢へスキップする」機能が有効活用できるので、ルート検証のための周回はそこまで苦にはならないでしょう。(選択肢の組み合わせによるルート分岐自体が難しいことに変わりはありませんが……)

 

新たな選択肢の前後の展開ではボイスの新録が行われており、聞けばだいたい「おっ、原作にはない展開だな?」と気づけると思います。

(それでも原作から18年も時を経ているのに原作に限りなく声質を寄せている声優さんたちは本当に凄まじい仕事をしていると思います)

 

 

・エンディングリストについて

本作は2005年発売の「カルタグラ」原作および2007年発売のファンディスク「和み匣」収録の完結編「サクラメント」を統合させたリメイク作品です。

 

制作にあたってシナリオ修正やルートの追加などが行われた結果、なんと18にも及ぶエンディングが読者を待ち構えています。

 

物語のボリューム感としてはカルタグラ本編が8割、サクラメント編が2割といった体感ですが、各キャラクターに新たな物語が追加された結果、エンディングも増えていると言った次第です。

 

 

サクラメント編についてのあれこれ

原作「カルタグラ」のトゥルーエンドにあたるEND12「グランドエピローグ」に到達することで、本編からおよそ1年9か月後の1952年(昭和27年)12月から始まる完結作「サクラメント編」を読むことができます。

 

 ※ただし、サクラメント編に進むためには物語の冒頭の選択肢から和菜を優先させるような選択をしていく必要があり、これが足りないと「グランドエピローグ」が発生するだけでサクラメント編に進めないといった事態が起こります。

  正直、このカラクリに気づくまでかなり難儀しました。最終的には攻略サイトの力を借りることになりましたが、これを初見で気づけた人はスゴイと思います。

 

なお、サクラメント編には和菜ルートにあたる「雪椿編」と由良ルートにあたる「白詰草編」がありますが、ゲーム内でサクラメント編と地続きになった都合上、ルート分岐方法が原作と異なっています。

 

具体的には本編1951年(昭和26年)2月20日の逗子の旅館で和菜から「由良が見つかったとき、和菜と由良のどちらを選ぶか」と問われた時の回答により、サクラメント編でのルートが決定するようです。

 

 ※もっとも、これも上述した通りサクラメント編に進むだけ充分なほど和菜優先の選択を重ねてきたことが必要であり、足りなければ旅館でどう選択したとしても良くて「グランドエピローグ」で話が終わってしまいサクラメント編に進むことはできません。初見はもちろん、原作プレイ済みの読者にとっても難しすぎる仕様ではないかと感じますが……

 

 

またサクラメント編で特筆すべきことがあるとすれば、和菜ルート「雪椿編」における由良の病院脱走の経緯が大幅に差し変わっていることでしょうか。

 

カルタグラ本編から20か月近く昏睡状態だった由良が目覚めたあと、どのような行動を経て病院を抜け出し、和菜が出演する劇場まで向かって行ったのか。

 

原作「サクラメント」の由良は、七七が病室に(わざと)置いて行った果物ナイフを使って脱走を見とがめられた看護婦と医者を惨殺し、劇場の控室では共演者の一人を血祭りにあげて衣装を奪うという展開になっていました。

 

もっとも、目覚めてから2週間足らずでここまでの犯罪行為・運動ができるほど人間が回復するものなのかとか、由良がただの狂った殺人鬼になってしまっているなど元からツッコミどころの多い展開ではありました。

 

しかしリメイク後のサクラメント編における由良は、夜間に病院をこっそり抜け出し、劇場の控室では共演者の一人を殴って気絶させて衣装を奪うという非常に穏当な展開に差し変わっています。

 

これにより、由良脱走後の病院での展開もすべて差し変わっています。

原作では七七と冬史が血の海になっている病院を見てから劇場に急行するのに対し、リメイク後のシナリオでは八木沼刑事たちが病院の現場検証をしているところに遭遇した七七と冬史が、警察の目を盗んで劇場に向かうという展開になっています。

 

※ちなみにリメイク後のシナリオでは、由良脱走後の病院において七七が「(由良なら)病院関係者を皆殺しにしてから脱走すると思ったのにどういう心境の変化か」といった趣旨の発言をしています。

 

 これに対する回答としては、人知れず目覚めていた由良は、見舞いに来ていた秋五に触れられた際に彼の感情を読み取っていたから、と由良の独白で述べられています。これ以上由良に罪を犯してほしくないという秋五の想いを汲んだ、という形にしたわけです。もっとも、それでもどうしても和菜だけは殺したいので劇場に忍び込んだということらしいですが……

 

 

ではなぜここまで大きなシナリオの変化があったのかというと、追加エンディングとの整合性という側面が非常に大きいように感じます。

 

由良ルート「白詰草編」における追加シナリオとして、日本海側にある漁村に逃げ込んだ秋五と由良の新生活を描く展開があります。

 

ここで由良ルートにおけるグッドエンドであるEND18「海の光」に到達した場合、逃亡生活をしてから数年が経過したあと、由良は秋五に置手紙を残して自ら警察に出頭するという結末を迎えます。

 

そしてエンディングロールで表示されるスチルでは、由良が漁村に帰って来る様子が描かれて幕を下ろします。

 

 

突然ですが、ここで由良が犯した罪について軽く考察したいと思います。

 

少なくとも由良はカルタグラ本編において、影武者の雹、祠草時子、双子の遊女・小雪と芹の4名を直接手にかけ、凛と綾崎楼子を亡き者にするように深水や赤尾へ教唆したことがわかっています。合計6人もの女性を死に至らしめたことになり、すべての罪が立件されればほぼ間違いなく極刑が下されることでしょう。

 

しかし、上野連続猟奇殺人事件の実行犯である深水や赤尾は既に死亡しており、祠草時子の殺害を指示した有島刑事も既にこの世にはいません。由良が逮捕されたとして、彼女の犯罪をどこまで立証できるのか、すでに疑わしい状況になっています。

 

となると残るのは双子の妹である和菜に対する殺人未遂のみということになります。

 

エンディングロールにおいて由良が漁村に戻ってきたのは十数年後であると思われることから、おそらく由良が立件された事件は和菜の件のみだったのではないかと考えられます。雹については死亡してから月日が経っているため経緯を突き止めようがなく、祠草時子の事件も状況証拠だけで犯行を示す物証は何もない。まして双子の遊女の死に関しては有島刑事が言っていたように赤尾の罪にされているはずだからです。

 

非常に厭らしい発想ですが、殺害人数が1人だけなら懲役刑、それも有期刑で10年ちょっとが量刑相場なので、仮に未遂の罪で実刑判決が下ったとしても追加エンディングとも整合性を取ることができます。

 

由良の行動原理はすべて「秋五に愛されたい」につながっているため、まるで殺すことそのものが目的であるかのような原作「サクラメント」の展開とは折り合いが悪かったのではないか。阿久井はそのように考えています。

 

 

 

……さて、あまりにも久しぶりに筆をとったので長々と語りすぎてしまいました。

まだまだ語りつくせていないため、残りの内容はまた次の機会にしたいと思います。