悪意ある善人による回顧録

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カルタグラ~ツキ狂イノ病~《REBIRTH FHD SIZE EDITION》 その4

***注意はじめ***
以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

・BGMについて

本作は2005年発売の原作「カルタグラ」をリメイクするにあたり、すべての歌曲・BGMを新録し直していることが発表されています。

 

そのため、旧テーマソングである「恋獄」「LUNA」「硝子の月」も18年越しに霜月はるか氏が歌ってくれており、演奏の仕方も含めて原曲とはかなり異なっているので聞き比べてみると趣深いかもしれません。

 

例えば「恋獄」では旧版がアコーディオンの旋律が印象的だったのに対して、新録版ではコーラスに力を入れている、といったような差別化を感じることができるでしょう。

 

また本作では2008年発売のファンボックス「恋獄匣」に収録されていた増補版サウンドトラック「Manie+」にのみ収録されていた楽曲の中から一部が転用・新録されていることが確認できています。

 

以下では「Manie+」での収録時のタイトルから本作で新録されるにあたって新たに付けられた曲名への変化を記載します。

 

 ・Cartagra → カルタグラメインテーマ

 ・Whitelily(綾崎楼子のテーマ)→ 情景

 ・Labyrinth(祠草時子のテーマ) → 災厄

 ・MadSister(深水薫のテーマ) → 信仰心

 ・FateTheory(有島一磨のテーマ) → 孤高

 

これらは主に該当する登場人物との会話シーンで再生されていたことが確認できました。さすがに各人物をイメージして作曲されただけあり、場面にピタリとはまって違和感がなかったのでちょっと驚きました。

 

あとは今回のリメイクにあたって原作にはなかった曲もいくつか追加されているようでした。

 

 ・夕凪    ←新録
 ・白い刻   ←「白い闇」のアレンジ
 ・紫翠    ←新録
 ・永久の波  ←「悠久」のアレンジ
 ・哀艶    ←「艶」のアレンジ
 ・海の影   ←新録
 ・海の闇   ←新録
 ・海の光   ←新録

 

 

 

※※※ 警告 ※※※

以下、カルタグラ REBIRTH FHDリメイクにおける最大級のネタバレである「和菜エンド」および「由良エンド」について詳細に言及しています。

 

本作に興味を持っているのであればネタバレを踏まずに本作をプレイし、同エンドに到達したほうが感動も一入だと思いますので、以下を読み進める場合はご覚悟召されますようお願いします。

 

 

 

 

・和菜エンドについて

和菜エンドと呼ぶべき結末はカルタグラ本編におけるEND12「グランドエピローグ」と、サクラメント編におけるEND15「トゥルーエンド」の2つです。

 

これらはイノグレ作品群においていわゆる正史にあたる内容で、「トゥルーエンド」の時点では本編からおよそ4年後にあたる1955年(昭和30年)まで時が流れています。

 

この「トゥルーエンド」を経て、1956年(昭和31年)が舞台となる「殻ノ少女」シリーズに続いていくのだと明確に示されているわけです。

 

それでは詳しく内容を追ってみましょう。

 

まずはEND12「グランドエピローグ」についてですが、実際のところこちらは原作「カルタグラ」のトゥルーエンドと大きな違いはありません。

 

変態妹にして天才である高城七七によりすべての企みを暴かれた由良は、和菜を亡き者にしようと最後のあがきを見せたあと、秋五の放った弾丸によって昏睡状態になる。

そして秋五は、演劇の夢を追って海外に学びに行く和菜の代わりに由良を見守り続けることを誓う、という原作と同じ展開です。

 

もっとも、原作と違って本作では条件さえ満たせばこのあとすぐに第2オープニングムービーへと移行します。そのあとサクラメント編に突入するにあたり、「グランドエピローグ」終盤における秋五や和菜のセリフ回しが若干改変されていることは違いとして挙げてもよさそうですが。

 

次にサクラメント編における和菜ルートのエンディングについてですが、原作ではグッドエンドとバッドエンドの2種類だったのに対し、本作ではこれらに「トゥルーエンド」を加えた3つに変わっています。

 

その結果として、もともとは正史だった旧版和菜ルートのグッドエンドがIF展開扱いとなり、追加された「トゥルーエンド」が正史に成り代わっています。

 

もしかしたらこれには賛否両論かもしれませんが、少なくとも阿久井としては追加された「トゥルーエンド」の方がより救いがあるし、「殻ノ少女」へのつながり方を考えてもより自然ではないかと感じています。

 

詳しく見ていきましょう。

 

まず旧版和菜ルートのグッドエンド(本作におけるEND14「旅立ち」)では、再び和菜の命を狙った由良の凶行を止めるため、冬史の放った弾丸が由良の命を終わらせることになります。

 

しかし、由良が遺した呪いの言葉によって和菜は精神に不調をきたすほど深く傷つき、そのことに強い自責の念を感じた秋五は由良の後を追うため東京から去ろうとします。

 

ところが、そんな秋五の異変に気付いた和菜の懸命な説得により秋五は思いとどまり、秋五は「由良への思いに決着をつけて必ず帰って来る」と告げて旅立っていく……といいう顛末です。

 

秋五が旅立ったのは由良の襲撃が起きたしばらく後である1953年(昭和28年)のことなので、その後2年近く和菜の前から立ち去ったままだったことになります。

 

ここまでの経緯に秋五が後悔の念に駆られることはわからなくはないのですが、何にも悪い事をしていないのに心を傷つけられた和菜のことを思うと問題ありだと感じます。

いちおう和菜の復調を見届けてからとはいえ、彼女を支えるでもなく旅立ってしまった秋五の行動はちょっと無責任かな、と原作「サクラメント」を読んだ当時は考えていました。

 

今回追加されたEND15「トゥルーエンド」はその不満を払拭する内容になっていたと言ってよいでしょう。

 

「トゥルーエンド」では由良が亡くなったくだりまでは同じなのですが、そのあと秋五は旅に出ることなく、傷心の和菜を傍で支え続けることを選びます。

 

その後、秋五の励ましもあって無事に舞台女優として復帰した和菜は、晴れて秋五と結ばれることになりました。

 

数年後、和菜の体調が思わしくないため高城夫婦は和菜の故郷である逗子に身を寄せますが、そこで和菜から子供ができたことを告げられて幕引きとなります。

 

この子供というのが、「殻ノ少女」の結末時点で誕生し、時坂玲人によって名付けられた女の子です。

イノグレ作品群の本編中ではついぞ名前が明かされることはありませんでしたが、「天ノ少女」付属小説などによって「和(なぎ)」という名前であると判明しています。

 

「トゥルーエンド」のエンディングロールでは和菜が幼児期の和を抱きかかえるというスチルが表示され、幸せな未来が想起されます。

(和の容姿が明かされたのも今回が初めてですが、親子だけあって凛とした面立ちが和菜とそっくりです。ただし女学生に成長したあとの言動を付属小説などで見るかぎり、性格まで和菜に似てしまったのか見た目に反して溌溂すぎるというか若干残念な感じの少女に育ってしまうようですね。とってもいい子なんでしょうけれど……)

 

……うん、カルタグラにおける結末としては、まさしく最良と呼べる文句のない締めくくりになっています。大きな違和感もないし、「殻ノ少女」シリーズとの繋がりも意識された素晴らしい大団円ですね。

 

なにより一方的に辛くあたられ続けていた和菜が幸せそうな様子を見られて、いち読者でしかない阿久井も嬉しくなってしまいました。

 

 

 

・由良エンドについて

原作「サクラメント」において由良エンドと呼べる結末は一つしかありませんでした。

 

それが本作におけるEND16「逃避行」です。旧版由良ルートにおける展開は一本道であり、必ずこの結末にたどり着きます。

 

和菜ルート(雪椿編)では、和菜がアメリカから凱旋公演のために帰国するタイミングで人知れず昏睡状態から目覚めていた由良が引き起こす騒動が描かれていました。

 

しかし由良ルート(白詰草編)では1952年(昭和27年)12月になっても和菜の帰国は実現せず、由良の目覚めに気づいた秋五がその事実を隠蔽しながら、由良と久闊を叙するのが主な内容になっています。

由良にしてみれば、およそ10年ぶりに「上月由良」として秋五と会話する貴重な時間です。犯した罪の重さを自覚しながらも、そのことに深い幸せを感じているようでした。

 

由良を孤独にしたこと、狂気に至らしめたこと、それらに強い自責の念を感じていた秋五は、和菜のこともこれまでの生活も何もかも投げうって、由良を連れて逃亡することを選ぶ……というのが、旧版由良ルートにおける結末です。

 

旧版ではその逃亡先が由良の故郷である逗子になっており、その後どのような生活を送ったのか、すぐに捕まってしまったのかなど何もわからないままの幕引きとなってしまったので、少し引っかかるものがありました。

確かにこの結末時点での由良は幸福の絶頂なのかもしれませんが、まさしく「逃避行」に過ぎず、この幸せも所詮は刹那的な幻に過ぎないのではないか……そんな思いもありました。

 

本作にて追加されたEND17「海の影」、END18「海の光」においては、秋五たちの逃亡先が日本海側に位置する小さな漁村に変更されています。

都会育ちな秋五と、人間らしい生活を送ってこなかった由良の二人が初めての田舎暮らしに苦労しながらも慎ましやかな幸せを手にした様子が丁寧に描かれています。

(ここで由良の新規立ち絵が追加されるわけですが、双子の和菜とほとんど同じ容貌のはずなのにここまで印象が違うのは驚きですね。なんというか、影のある美女、といった趣で儚さの中に強い意志を感じさせます)

 

しかし、追加されたエンディングが二つであることからも想像がつくでしょうが、END17「海の影」は逃亡した後の由良が迎える悲劇、つまりバッドエンドを描いた内容になっています。

 

END17「海の影」では、漁村での生活から1年が経たないころに由良の妊娠が発覚します。しかし、秋五の愛情が自分の子供に向かっていくのではないかという不安と嫉妬に駆られた結果、由良は身重の身体を海へと投げ出してしまうのです。

 

由良の幾星霜にわたって醸成されてきた妄執と狂気の深刻さを考えれば、この結末は充分にあり得ました。

 

実の両親からも村民からも疎まれ、見放され、利用され続けた由良には、「秋五に愛されたい」という望み以外に生きる希望が持てなくなっていたからです。自分の子供にすら嫉妬してしまう、そのことに由良は絶望してしまったのでしょう。

 

入水に向かう身重の由良の姿は壮絶で、描き下ろされた一枚絵で見せた由良の表情は言葉を失うほどでした。

 

愛を求め続けて狂い果て、道を踏み外してでも手に入れた愛すら信じ切ることができなかった。子供ができたことで、たとえ一片でも秋五からの愛が欠けてしまうのなら、失ったと感じてしまうのならば、もう生きてはいられない。たとえ愛する秋五の子を道連れにするとしても、命を絶った自分のことを秋五が想い続けてくれることを願った。

 

本作の新テーマ曲である「孤独の海」でも、霜月はるか氏は由良の心情をこう歌い上げています。

「欠けてしまえば、全ては終わる」と。

 

――あまりに身勝手で、愚かで、なにより哀しすぎる結末です。

由良の考えは、まるで人が誰かに授けられる愛の総量には上限があって、誰かに愛が傾いた分だけほかの誰かへの愛は失われると言わんばかりです。一面では真実かもしれませんが、夫婦の愛と親子の愛を同列に語るのは違うでしょう。

 

愛は受け取るだけのものではなく、与えるもの、双方向性のものです。

仮に秋五から受け取る愛がかつてより欠けてしまったと感じるのだとしても、由良には生きてその愛に報いて欲しかったですね。

 

 

そんな読者の切なる願いを叶えるのは、もう一つの追加エンディングです。

 

END18「海の光」は、無事に元気な女の子を出産したあとの生活まで描いたグッドエンドになっています。

 

由良にどのような心境の変化があったのかは明言されていません。しかし、秋五からの愛情を実感する過程で、漁村の人々の優しさにも触れてまっとうな人間性を獲得するに至ったのではないかと推察することはできます。

 

まさか自分が娘に愛情を向けられる母親になろうとは、と由良自身も述懐するほど、その姿は一人の母親になっていきました。

 

しかし娘・月子(つきこ)が一人歩きするまですくすくと成長したのを見守っていたころ、抑え込んでいた罪悪感が蓋を開けます。何人もの人生を狂わせた自分に、これから先も幸せでいる資格などあるのだろうか、と。

 

そこで由良は秋五に置手紙を残し、月子の将来を案じながらも自ら警察に出頭することを選ぶのでした。

いつか娘と再会できるならば、贖罪を果たしたうえできちんと向き合うために。

 

エンディングロールでは海辺で佇んでいる少女の後ろ姿が表示されます。振り返った片方の瞳が灰色になっていることから、由良の一人娘である月子であることは明らかです。おそらく14・5歳であろうと予想されます。

 

そんな少女に、万感の思いで暖かな視線を向ける妙齢の女性が近づいてきます。おそらく、刑期を終えた由良なのでしょう。物語はここで幕を閉じます。

 

もしも1952年(昭和27年)に和菜が日本に戻って来なかったら、秋五が和菜ではなく由良を選んでいたのなら、こんな結末も充分にありえただろうという説得力がありました。

 

なにより、18年越しに由良が幸せに生きられた可能性を見させてくれたイノセントグレイには感謝のしようもありません。

 

本当に、本当にこの物語を追いかけ続けてよかったと、心の底から感動しています。

 

そのいっぽうで、これで由良の物語は完全に完璧に終わってしまったのだな、という寂しさもあります。まったく厄介ファンというのは度し難いものですね。

 

 

 

単なるリメイク作品にとどまらず、「カルタグラ」という作品に眠っていた魅力を極限まで引き出すことに成功した本作は、間違いなく傑作ミステリーと呼んでしかるべき作品だと考えます。

 

 

願わくは、次なる物語をイノセントグレイが速やかに発表してくれることを祈るばかりです。

付属小説などで秋五・和菜の娘である和は頻繁に登場にしていることですし、舞台を1971年(昭和46年)に移して新たなシリーズを立ち上げるのも面白いのではないか、とも思います。

 

後日、付属小説の感想を述べて本作のレビューは終了予定ですが、またしても長々と述べてしまいました。

 

それだけ本作に向ける関心と愛が大きかったということで、ひとつご容赦いただければ。