悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

電波的な彼女/片山憲太郎 (2009年時)

記事の練習として、昔の読書録(2009年)からひとつを丸写しさせていただきます。

 

 

***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

 

集英社発、第三回スーパーダッシュ小説新人賞受賞作にして、我が心の師、片山憲太郎のデビュー作。

 

この本を買ったのはその存在を知ったのと同じ日である2005年12月31日、池袋ジュンク堂

見本として一章まで立ち読み可になっていたこの小説のタイトルに惹かれ手に取ったが最後、一瞬にして引き込まれ、以来本格的に読書の道へと自分を誘った作品でもある。

なお、今回で通算8週目の読了となる。

 

物語は、不良高校生である主人公・柔沢ジュウがある日、見知らぬ少女・堕花雨(オチバナアメ)に永遠の忠誠を誓われたシーンから始まる。

ジュウは『電波的』と評するにふさわしいキテレツな言行を繰り返す雨に振り回される。しかしそんな日常も、巷を騒がす通り魔殺人事件により崩れていく……という筋。

 

筆力が足りないためこの物語の素晴らしさを思うように表現できないのが非常に残念だが、それでも記録に残しておきたい。

 

この本の存在を知ったのが、ちょうどPCゲーム「カルタグラ」(Innocent Greyの18禁作品)のPS2版が発売した時期と被るため、そのせいか自分の中でこの2作はよく比較の対象になっている。

 

電波的な彼女が現代日本の高校を舞台とする一方で、カルタグラは第二次大戦直後の探偵モノである。時代背景も登場人物の年齢層もまるで異なる2作品だが、実はある点において共通している。

 

それは、「愛する者に対してはどんなことをしてでも寄り添おうとする」女性像である。

もしかしたら自分は、それゆえにこれらの作品を愛して止まないのかもしれない。

 

電波的な彼女」の話そのものはライトノベルのレーベルで出版されているあたり、娯楽色を意識して事件一辺倒にならない工夫がされている。特に、ジュウと雨による雑談の含蓄の多さには目に見張るものがある。これだけでも読む価値があるかもしれない。

サスペンスとして見れば、とても上手く(おぞましく)人間の狂気が描けている。ただしミステリーとして見ると犯人がすぐに特定できてしまうのが少し残念。

だが、それを補って余りあるほどキャラクターやストーリーに魅力がある。何より、通り魔事件という悲惨な物語の結末にわずかでも希望を残しているあたりが、この作品を神作に昇華させている理由だと思う。