悪意ある善人による回顧録

レビューサイトの皮を被り損ねた雑記ブログ

海難1890

上映初日に鑑賞する機会を得たので、感想のようなものをしたためてみようかと思います。


***注意はじめ***

以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。

また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。

当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。

***注意おわり***

 

日本・トルコの友好125周年記念作品。

1890年に和歌山県沖で発生したエルトゥールル号遭難事件と、1985年にイランのテヘランで発生した邦人脱出事件における日本人とトルコ人の助け合いを描いた作品である。

 

ことのはじまりは1890年9月。オスマン帝国の訪日使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が嵐に飲まれ、沈没してしまう。海上から聞こえる巨大な爆発音に引き寄せられた樫野の村民たちは、海岸に打ち上げられた大勢のトルコ人たちを発見する。村民たちは荒れ狂う海の中、命がけで救助活動を行い、船員の1割にあたる69名の命を救った。


時は移り、1985年のイラン。イラン・イラク戦争が激化の一途をたどる中、サダム・フセインにより停戦協定が破棄されてしまう。48時間後には民間・軍用を問わず航空機の無差別攻撃を行うという。イランには日本人が300名ほど取り残されていたが、日本政府は有効な救助策を打ち出せず手をこまねいているだけだった。そんなとき、トルコのオザル首相の提案により、日本人のための救援機を発進させることになるが……という筋。

 


実話をもとにした物語だけあって、見ごたえのある作品だった。

映画は上映時間の3分の2ほどが「1890年編」で、残りが「1985年編」という構成になっている。

 

「1890年編」では日本が舞台となるのだが、適宜シーンが日本サイドとトルコサイドとで切り替わる。

貧しいが平和な漁村である樫野。主要人物は診療所を営む田村医師(内野聖陽)と、婚約者を海難事故で亡くし喋れなくなった助手ハル(忽那汐里)の2人。田村医師は村民の貧しさを知っているため、診察してもお金はほとんど受け取らない。内野聖陽氏が演じていたせいもあるかもしれないが、味わいのある粋な御仁といった好人物である。また英語を話せるのが田村医師だけだったため、トルコ人とのやり取りは主に彼がすることになる。


一方、西欧列強にかつての威信を見せ付けるべく、決死の思いで日本を目指すトルコの軍人たち。海軍大尉のムスタファと、ボイラー室の兵曹べキールが主要人物である。ふたりとも祖国に妻を残して来たのだが、ムスタファが若きエリートなのに対して、ベキールはたたき上げ。仕事の向き合い方で反目することもあった二人だが、祖国へ帰る頃には互いを認め合うような関係になっていた。


最初は交わることのなかった2つの国の人間たちが、嵐の夜をきっかけに出会うことになる。

帆が1本折れたうえ、座礁してしまったエルトゥールル号。漁村の生活のつらさを忘れるかのように遊郭で酒盛りする村民たち。遊郭での演奏と難破する軍艦の様子がリンクしており、息もつかせぬ映像が続く。

特に印象的だったのは、もはや舵まで失ってしまい、陸へたどり着くにはボイラーだけが頼りという状況なのに、燃料が水浸しになってしまったくだり。船員たちは燃やせるものを無差別にボイラーの中へ突っ込んでいく。船員の一人が妻への土産として買った日本人形を泣きながら火にくべるというシーンは胸に刺さるものがあった。

とうとうボイラーまで故障してしまい、爆発の危機に晒される船員たち。ムスタファ大尉は現場監督として機関室の水兵たちと最後まで諦めようとしなかったが、ベキール兵曹はそんな彼を船上へと逃がす。そして間もなく軍艦は爆発し、船員たちは海に投げ出されてしまう。

爆発にいち早く気づいた田村医師と、彼を追いかける村の人々。海岸に積みあがったトルコ人たちの瀕死の姿を見て、村中が大騒ぎになる。

 

「1890年編」の描写でよかったところのひとつに、遭難事故に対する村内での反応の差があげられる。
映画全体で見ると脇役だが、竹中直人氏の扮する工藤医師が好例である。彼は事故が起きても遊郭に居座り、「金にならない仕事はしない」と言い捨てて救援に向かった田村医師たちを蔑む。日本人による善性を殊更に強調しなかったあたりが、映画のリアリティを増した要因になっていると思う。(とはいうものの、結局は遊女らの願いによってなのか、工藤医師も遅れながら救命活動に協力するのだが)

 

 

 

「1985年編」では舞台がイランのテヘランへと移る。
残り48時間以内に帰国できなければ空路を絶たれてしまうという絶望的な状況で、日本人学校の女教師・春海(忽那汐里)が街中を奔走しているシーンから始まる。
春海は自分の教え子やその家族たちを帰国させるため、連絡がつかなかった人たちの家をまわっていたのだ。その道中で彼女はトルコ大使館の職員ムラトの助けを得て、テヘラン空港へと向かう。
空港では飛行機を待っているトルコ人たちで溢れており、とても日本人を乗せてくれそうな雰囲気ではない。
日本人の誰もが失意の底に沈んだとき、ムラトはトルコ人たちに説得を試みる。
自分たちは他国の人間を助けてきた誇りある人々の子孫である。だが遥か昔、遠い異国の地で我らの英雄たちを助けてくれた人々がいたはずだ、と。

ムラトの説得に応じたトルコ人たちは、日本人たちを優先的に乗車させることに賛同し、道を開ける。トルコ人の喝采の中、日本人たちは無事に帰途につくことが出来た。


……というのが「1985年編」の全貌なのだが、こちらは正直に言ってあまり良い印象をもてなかった。
そもそも、テヘランに滞在していた諸外国の空港会社は、自国民を退避させるために救援機を出しているのである。にもかかわらず日本政府は自分の身かわいさに救援機を出さなかった、という風にしか解釈できない話になっているのだ。


また純粋な疑問として、ムラトの説得に応じたトルコ人たちの何人が「1890年のエルトゥールル号事件」を覚えていたのか、というのがある。劇中のセリフでも名言されていなかったというのもあるが、彼らが95年も前の出来事を恩義に感じていたのかというと少し違和感がある。
たぶん純粋に人助けのために席を譲ってくれた、というのが正しいのではないか。この一件があったあと、よくよく考えてみると日本とトルコは重大事件で互いに助け合ったことがあった、と後付で結びつけたのではないだろうか。

 

 

まあ何にせよ、美談であることには違いない。
説教臭いとか地味臭いなどと思わずに、一度見てみることをお勧めする。

 

あと余談だが、トルコの国旗が「三日月と星」なのを指して「月昇る国」と表現したのは素晴らしいと思った。
日本は「日出づる国」と言い換えることもあるため、上手い対比を考えたものだな、と。