***注意はじめ***
以下の文面は言葉遣いに乱れが生じたり、ネタバレにあふれる虞があります。
また、本文は筆者である阿久井善人の独断と偏見に基づいて記されております。
当方が如何な感想を抱いたとしても、議題となっている作品の価値が貶められるはずもなく、読者の皆様のお考えを否定するものではないということを、ここに明記いたします。
***注意おわり***
・第6章
短いようで長かった物語がついに幕を閉じた。
しかし、物語をすべて読了した今、この物語にいったいどのような感想を抱けばいいのか頭を抱えている。
というのも、本章で明かされた特大のネタバレがすべての原因なのだ。
先日までに書き記してきた数々の「ネタバレ」が、その何もかもが「嘘」だったのである。
無数の隕石群によって地球が滅亡したというのも「嘘」。
才囚学園に閉じ込められた16人が最後の人類というのも「嘘」。
彼らが希望ヶ峰学園の生徒だということも「嘘」。
それどころか、希望ヶ峰学園が実在するということさえも「嘘」。
さらには、彼らの名前も人格も才能も記憶も、何から何まですべてが「嘘」。
本当のことはただ一つ、何者かはわからないにせよ彼らが生身の人間であるというその一点のみだったのだ。
物語の黒幕が生き残りメンバーのうちの一人であり、その一人を割り出すために最初の事件を引っ張り出してくるまでは胸熱な展開だったというのに、どうしてこうなった。
V3の世界では、これまでのダンガンロンパシリーズがフィクション作品として存在しているというのだ。
その人気に目をつけた営利企業が実際の人間を使ってコロシアイを見世物にしていたというのが、この物語の真実である。
それも、これまでに53回もコロシアイを続けていたというのだから衝撃的だ。
なんだか、洋画「トゥルーマン・ショー」のような胸糞悪さがある真相である。
あの映画も本作も、世間のニーズに基づいてエンターテイメントを提供していた集団がいた。つまるところ、物語の黒幕は参加者以外の全世界の人間ということ。
第6章の開始時に、わけのわからないモブキャラの独白が挿入されたのだが、その意味がわかったときの怖気といったらない。
争いなんてない平和な世界の人間が、娯楽として生身の人間を殺し合わせ、その様をみて愉しんでいるという、狂気の世界。
これじゃあ、世界が滅亡していたというほうがまだましだったかもしれない。
最原たちはそもそも、植え付けられた偽の記憶と人格を元にコロシアイをさせられていた。しかも、一度植えつけた記憶は取り消すことができない。つまり、最原たちはもとの人格に戻ることも、もといた場所へ帰ることもできない。
滅亡寸前の日本を救いたいとコロシアイを決意したあの人も。
家族や恋人を皆殺しにされ、生きる希望を失っていたあの人も。
姉の死をきっかけに正気を失い、多くの女性を手にかけたあの人も。
神の存在を信じ、学園に平和をもたらそうとしたあの人も。
悪の道をひた走り、自分の命を捨ててまでモノクマに一矢報いようとしたあの人も。
最原を勇気付け、最後の最後まで彼を引っ張り続けたあの人も。
意図せず暗殺者にさせられ、感情を捨て去ったあの人さえも。
その何もかもが嘘・嘘・嘘。
自分が本当はどんな人間だったのかもわからず、ただただ世界の衆目の的になり、画面の向こうからコロシアイをしろと望まれていたのが真実だなんて。
あまりにも救いがなさ過ぎるではないか。
しかし、そんな嘘塗れの世界をぶち壊すべく、最原と生き残りのメンバーは裁判を拒否するという形で物語を締めくくった。
投票の結果、誰にも票が入らず、全員がペナルティで死ぬことになった。
……のだが、一人の登場人物の犠牲により、黒幕を除いた3名が生きて才囚学園を出られることになった。
結末だけ見れば、ほんの一握りだけでも救いがあるように思えるかもしれない。
しかし、このあと最原たちはどうやって生きていくのだろう。
外の世界で顔を知られてしまっている最原たちに居場所などないように思えるのだが。
まあ、そのあたりは続編か番外小説かなにかで語って貰えることを期待して。
それにしても、結末まで見て心に残ったのがなんとも言えない虚無感とは、本当にどうしてしまったのだろう。
やはり「嘘」をテーマにした作品とはいえ、登場人物のプロフィールも含めてすべてが「嘘」というのはやりすぎだったのかもしれない。
それだと、これまでのコロシアイの意義すらも無に帰してしまう。
まあ、もしかしたらこの作品は、「デスゲーム」が乱立する昨今の日本に警鐘をもたらす目的があったのかもしれないが。
ただ、現実世界で出回っている「デスゲーム」はあくまでフィクションであって、生身の人間を殺し合わせる「リアルフィクション」なる悪趣味かつ悪辣極まる催しでは断じてないのは確かだ。
V3の世界の住人たちは、画面越しに描かれた殺し合いが本物の人間によるものだとわかったうえで、それでもなお殺し合えと言っているのだから、たちが悪すぎる。現実と妄想を区別したうえで、その妄想を現実の人間に押し付けようとしているのだから。
悪辣というと、事件の首謀者がついた嘘についてもである。
事件の首謀者がことの真相を暴露しだしたとき、最原たちの元の人格が、自分からコロシアイに参加したいといってきたと述べていた。その証拠の映像として、最原がいかにコロシアイエンターテイメントが大好きで、自分も参加したいと熱弁しているオーディション映像を見せてきたのだ。
ただ、個人的にはあの映像は捏造なのではないかと考えている。
この物語が始まったとき、赤松と最原が空き教室で覚醒するシーンの出来事がその根拠である。
このとき、二人は「何者かに拉致され、気を失わされた」と言っていた。気がついたら、訳のわからない場所に閉じ込められていたのだと。
筆者としては、この発言こそが彼らの素であったと信じている。
つまるところ、いかにコロシアイエンターテイメントが大人気を博している狂った世界だとしても、自分からコロシアイに参加したいなどというものがそんなに多いはずがない。
恐らく、参加者のほとんどは無理矢理拉致して会場に閉じ込め、偽の記憶を植えつけて殺し合わせていたというのが真相なのだろう。
あのオーディション映像は、「コロシアイに参加することが嬉しくて仕方がない」という偽の記憶を植えつけられたあとの映像だったのだと、筆者は考えている。
結局、事件の首謀者は崩落する学園と共に命を落とした。まあ、あれだけ人の命をないがしろにしていたヤツである。ただ死ぬだけでは生温いくらいだ。
なんだか取り留めのない文章になってしまったが、推敲するのも面倒なのでこのままにしておこうと思う。
なんだか、物語の真相を知ってしまったあとだと、やりこみ要素をやる気力さえ失せてしまった。
だって、絆を深め切れなかったキャラクターたちとどれだけ会話を積み重ねたって、結局は偽の情報でしかないわけだから。
うーん、楽しかったけど楽しくない。なんとも不思議な作品だった。